映画 『ジャーロ』

監督:ダリオ・アルジェント、脚本:ジム・アグニュー、ダリオ・アルジェント、ショーン・ケラー、撮影:フレデリック・ファサーノ、編集:ロベルト・シルヴィ、音楽:マルコ・ウェルバ、主演:エイドリアン・ブロディ、エマニュエル・セニエ、エルサ・パタキー、2009年、92分、米伊合作、原題:Giallo(黄色い)


イタリアのある都市で、若い美人ばかりが、誘拐され殺される事件が頻発していた。

モデルのセリーヌ(エルサ・パタキー)も、姉リンダ(エマニュエル・セニエ)と食事する約束をしていながら、タクシーからの通話を最後に、行方不明になってしまう。

リンダは警察に行くと、地下で一人で仕事をしている警部エンツォ(エイドリアン・ブロディ)を紹介される。初め、リンダの協力を拒むが、やがて二人でセリーヌの行方を追うことになる。

ある日また、修道院の中庭で、被害者とみられる女性が見つかり、死ぬ直前に、犯人は黄色というような言葉を話していたのがわかる。・・・・・・


何ともイメージに合わない主役の起用のせいで、イタリアの大都市ということもあり、逆に格式高い?ホラーになっている。

たしかに、残虐シーンはあるのだが、エンツォの幼い頃の悪夢のような現実が交錯するため、ホラーというより、センチメンタルな印象を盛り込んだエンツォの自分史のようにもなっている。


日本語のわかる魚屋の日本人にテープを聞かせたら黄色という言葉がわかったとか、エンツォが帰ったあとにリンダが一人残るセリーヌのへやに、犯人がどうやって入ったか、エンツォが取っ組み合いの末、犯人を殺してしまい、セリーヌの居場所が聞き出せないことで、あそこまでリンダがエンツォをなじる、など、ストーリーにかかわるところで突っ込みどころがある。


犯人のいるへや・痛いシーンと、エンツォの捜査・過去の思い出が、交互に進むのはいいとして、イタリア大都市というきらびやかな空間のある場所に、卑劣な犯人の棲む薄汚い地下室という空間を対比させた設定で描いたほうが、ストーリー展開の基盤としてよかったのではないか。むろんそうすれば、ホラーからはかなり離れることになるが。


犯人の役は、Byron Deidra と出るが、これは Adrien Brody のアナグラム(文字の並び替え)によるもので、エイドリアン・ブロディの二役ということになる。


タイトルは、犯人の顔色が黄色というところから来ている。病気のため黄色っぽく見えるということ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。