映画 『冷たい熱帯魚』

監督:園子温、脚本:園子温、高橋ヨシキ、撮影:木村信也、編集:伊藤潤一、音楽:原田智英、主演:吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、2010年、116分、日活。


スーパーで冷凍食品などを乱暴にカゴに入れる女、社本(しゃもと)妙子(神楽坂恵)。夕飯にはレンジを使うだけの食事が並び、小さな熱帯魚店を営む夫・社本信行(吹越満)と娘、美津子(梶原ひかり)の3人が食卓を囲む。

間もなくすると、夕食を途中にしたまま出て行った美津子が、スーパーで万引きしたと連絡があり、どしゃ降りのなか夫婦は車を走らせて行く。二人は事務室で、店長に説教されている美津子と対面する。

店長以外にもひとり男がいて、その男も熱帯魚店を営んでいるという誼(よし)みで、美津子は警察には突き出されなくなったが、その愛想のいい男は、せっかく知り合ったのも何かの縁だから、うちに寄ってきれいな熱帯魚を見ていってほしい、と言う。

3人が着いたところはかなり大きな熱帯魚店で、男は村田(でんでん)と言い、妻・愛子(黒沢あすか)も紹介される。

この村田との出会いにより、社本一家の運命は、意図せざる方向へと動き出す。・・・・・・


初めは、映画館(テアトル新宿)で観た。満員立ち見の盛況で、人気が高いことがうかがえる。それも30代以上60代位の男性客が多い。


ビールの水割りのような『愛のむきだし』(2009年)に比べれば、「映画として」圧倒的に優れた作品となった。カメラや雰囲気は似るが、ストーリーのすっきり感と、徹底した言語表現と映像表現で、「痒いところに手が届く」内容となり、小難しい善悪の論理にこだわらず、自由奔放に広がりゆく展開が開放的で気持ちよい。


ホラーなシーン、エロなシーン、バイオレンスなシーンといろいろあり、こうなるかと思う展開をよい方に裏切って進み、脚本を脚本自体が内側から突き破るような印象をもった。


冒頭近く登場する村田の妻が、村田よりは年が離れているように見え、第一、熱帯魚店というイメージとは程遠い容姿と服装で現れる。そのへんからしてすでに、そのうち何かあるだろうと思わせる偽善的悪臭ぷんぷんだ。


もともとは犬を想定していた生物が、制作中に熱帯魚になったようだが、かなり大きく美しい熱帯魚が水槽のなかに漂っている。

熱帯魚はストーリーのなかで、商売の材料ともなるが、ある意味、水槽に囚われ自由を束縛された、傷のない美しい熱帯魚は、人間ども野獣の世界の対極に置かれたメタファだろう。

自由にして他人と関わらざるをえない人間は、傷だらけであり、殺し合いもする。


この映画のよいところは、妙に深刻ぶることなく、人間の表づらのすぐ隣にある裏の顔を、むんずと掴みだして、はいどうぞと見せつけてくれるところだ。

廃屋のような小屋には、マリア像や十字架が見えるが、もはやそれらは、道端の道路標識程度の意味合いしかもたなくなっている。

数多い蝋燭に愛子が火をつけるときにはガスバーナーを使うなども、背徳を越えた野獣(人間)の仕業と言わんばかりだ。


映画として、エネルギッシュで、久しぶりに楽しかった。日本にこういう作品が産まれるというのはとてもうれしい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。