監督:リチャード・アイオアディ、脚本:リチャード・アイオアディ、アヴィ・コリン、原案:アヴィ・コリン、原作:フョードル・ドストエフスキー『二重人格』、撮影:エリック・アレクサンダー・ウィルソン、編集:ニック・フェントン、クリス・ディケンズ、音楽:アンドリュー・ヒューイット、主演:ジェシー・アイゼンバーグ、ミア・ワシコウスカ、ウォーレス・ショーン、ノア・テイラー、2014年、93分、イギリス映画、原題:The Double
会社員サイモン・ジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、仕事の要領も悪く口下手で意思表示も苦手で、職場では同僚や上司からバカにされていた。彼の唯一の楽しみは、自宅アパートの向かいにあるアパートの同じ階に住む同僚ハナ(ミア・ワシコウスカ)の私生活を、双眼鏡で覗き見することであった。サイモンはハナに気があるが、不器用がサイモンは悶々とするだけで日々が過ぎていった。ある晩、サイモンがいつものように双眼鏡でハナのへやを覗いていると、ハナが暮らすアパートの屋上から何者かが飛び降りるのを目撃してしまう。
そんな日々のなか、サイモンの職場にジェームズ・サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ一人二役)という新入社員が入社。ジェームズとサイモンは容姿も体型も瓜二つであったが、ジェームズのほうは要領がよく、ずる賢かった。やがて、サイモンがハナに気があると知り、ジェームズはサイモンの恋愛の指南役を買って出る・・・・・・
会社と言いつつ、サイモンやその周辺の仕切られたブースとコピー室、エレベータ―、通用口が映る程度で、何をしている会社かもどこにあるかもはっきりしない。彼が覗き見をする自宅アパートと会社との距離感もわからない。ジェームズが入ってきた経緯や仕事がどうできるのかについても説明はない。つまり、屋外に出ての撮影がない映画である。そのセットといえば、ほとんどが照度の落ちたへやや通路ばかりで、全体の黄色っぽい映像だけが印象に残る。
原題からしても、基本的に、サイモンとジェームズという二つの人格の織り成すドラマであり、ハナを交えた会話劇である。かぶせるような会話の応酬シーンも何度となくあり、会話によって事態は進行する。邦題は、サイモンを笑い飛ばすジェームズといったところだろう。相手を馬鹿にして、嘲り笑うことから、<嗤う>の字が当てられたのだ。
ファーストシーンで、電車内に座っている通勤途中のサイモンが、見知らぬ男に、そこは私の席だ(=譲れ)、と言い寄られる。車内はガラ空きであるのに、サイモンは何も言い返せず、ようやく他の席に移る。すでにこのシーンにおいて、サイモンのキャラクターは掴めるが、脚本が並列つなぎであるため、展開力がない。ドラマ仕立てであるにもかかわらず、起承転結がなく、ダラダラ感のみで引っ張ろうとしている。
よく言うなら、雰囲気で観る映画なのだろうが、映像からつくられるその雰囲気は、しっかり光が当たったものではなく、薄汚いものばかりで、興覚めだ。二つの人格の駆け引きも、最後は悲劇に終わるにしても、盛り上がりに欠け、タメてからの一気感もない。要するに、エンタメ性の核心となるメリハリがないのである。
単なるドタバタ劇にしても、伏線や回収もなく、ユーモアやカラっとした明るさはない。道具としての言葉の応酬あるのみで、次元の低い会話劇に終始し空回りしてしまった。
いきなり「上を向いて歩こう」(Sukiyaki song)など日本の歌謡曲が出てくるのはうれしいが、それも意外性だけに終わっており、ストーリーの流れに照らしても、それぞれのシーンにそれらを引用するほどの根拠がない。
結論として本作は、駄作というより他にない。
0コメント