監督:デヴィッド・リーン、脚本:H・E・ベイツ、デヴィッド・リーン、原作:アーサー・ローレンツ『カッコウ鳥の頃』、撮影:ジャック・ヒルドヤード、編集:ピーター・テイラー、 音楽:アレッサンドロ・チコニーニ、主演:キャサリン・ヘプバーン、ロッサノ・ブラッツィ、主題歌:ロッサノ・ブラッツィ『Summertime In Venice』、1955年、100分、英米合作、原題:Summertime
アメリカで秘書の仕事をしている独身のジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘプバーン)は、長期の夏の休暇を取って、念願であった水の都・ヴェネツィアに到着する。見るものすべてが美しいヴェネツィアでビデオを回し続ける。予約してあったホテルからの風景も感動的であった。途中でいっしょになった夫婦や経営者の夫人と話がはずみ、その後皆がそれぞれに去ってしまうと、どこか空虚な思いに襲われるが、気を取り直し、街中に出かけて行く。
カフェで支払いをしようとウェイターを呼ぶが、イタリア語に慣れていないジェーンが呼んでも振り向いてくれない。たまたま近くの席にいたイタリア人男性レナード(ロッサノ・ブラッツィ)が、イタリア語でウェイターを呼び、ジェーンは支払いを済ませる。
翌日街を歩いていると、美しく赤いベネチアングラスを見つけ、値段交渉をしよとすると、奥から出てきたのは、驚いたことにレナートであった。・・・・・・
ジェーンとレナートは恋愛に陥るが、初めに店に行ったとき、最初に対応したのはレナートの甥ではなく息子であり、いま別居中の妻がいることまでわかり、楽しく過ごした時間を裏切られた気がしてジェーンは失望するが、レナートを思う気持ちは変わらなかった。だが彼女は、彼女なりに一切を考え、ただちにヴェネツィアを後にすることを決心する。
列車の発車寸前、姿を現わしたのは、現地でかかわりのあった少年マウロ(ガイタノ・アウディエロ)であった。お別れにとプレゼントをくれて別れを告げたが、ジェーンは、もしやレナートが見送りに来ないかと心待ちにしていた。ついにレナートの姿は見えず、このままお別れかと思ったとき、走ってくるレナートの姿が見えた。贈り物なのか手に箱を持っていたが、走り出した列車のジェーンの手に届けることはできなかった。レナートが箱に入れて持っていたものは、数日前のデート中、川に落としたクチナシ(ガーデニア)の花であり、それを遠く走り去る列車の窓から見て、ジェーンも頷くのであった。
いわゆる大人の恋愛映画でもあり、そのままずるずると恋仲になり、具体的に男女の関係を現実に移していくより、すてきな想い出として心に残す決心をしたジェーンの辛い気持ちに共感できる。
恋愛の発端も、それを思い出にする決心も、みな、セリフ回しだけのやや強引な運びと感じるのは、やはり元が戯曲だからであろう。それだけに、そうしたシーンでは、この二人、特にヘップバーンの演技力がモノを言う。そしてそれは確実にこなされている。
ヴェネツィア到着寸前の汽車の中や、到着直後のジェーンのようすは、たしかに、ようやく長期休暇をとり、念願の街にやってきて興奮する中年女性であるが、実はどこか寂しげな雰囲気を漂わせるあたりまでの演出がすばらしい。
ふんだんにヴェネツィアの水路、広場、建物、歴史的な彫刻などをカメラに捕え、そのスケール感に飲み込まれず、わずか数日にしか及ばない「出遭いと別れ」の物語は、演技の確かな俳優によって、そのスケール感とのバランスが保たれた。
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