映画 『引き裂かれた女』

監督:クロード・シャブロル、脚本:セシル・メストル、クロード・シャブロル、撮影:エドゥアルド・セラ、編集:モニーク・ファルドゥリ、音楽:マチュー・シャブロル、主演:リュディヴィーヌ・サニエ、ブノワ・マジメル、フランソワ・ベルレアン、2007年、115分、仏独合作、原題: La Fille coupée en deux(半分に裂かれた女)


作家のシャルル・サン・ドニ(フランソワ・ベルレアン)は、自分が出ることになったTV局の楽屋に次いで、再びあるパーティー会場で見かけたTV局のお天気キャスター、ガブリエル・ドネージュ(リュディヴィーヌ・サニエ)に、目を奪われる。

翌日、シャルルは、本屋のサイン会で、またもガブリエルと出会うが、そこはガブリエルの母親の店であった。

そこに、遊び人風の若い男、ポール・ゴダンス(ブノワ・マジメル)が入ってきて、シャルルに文句を垂れ、そばにいたガブリエルにモーションをかけるが、相手にされない。・・・・・・


こうして、若く魅力的なガブリエルは、年も背景も異なる二人の男性に、時同じくして言い寄られ、別々に会うことになっていくが、ガブリエルの気持ちは、自分の母親よりも年上のシャルルのほうに傾いていく。

シャルルの友人らがいる建物にもガブリエルは付き合うことになるが、その階上のへやでは、乱交がおこなわれているもようである。


やがて、シャルルは仕事と称して外国に行ってしまい、ふさぎこんだ娘を思う母親は、ポールにガブリエルを誘わせる。それは二人の結婚という形に落ち着くのではあるが、ガブリエルには究極の悲劇が待ち受けているのだ。

シャルルに未練を残しながらポールと結婚し、そしてその両方を失うことで、ガブリエルはまさに、ラストのマジックショーで暗示されるように、原題どおり二つに切られた女になってしまう。


ちょいワルおやじと若くフレッシュな魅力のある女の子が、するすると肉体関係をもち、相手には妻がありながらデートを重ねていくプロセスが、非常に自然に描かれている。

フランス映画、特に、リヨンといった中堅の都市、シャルルは作家であり、あちこちに隠れ家のようなアパートをもつ色欲の男、ポールは年こそ若いが、ゴダンスの財産を独り占めにしている遊び人、こうした素材がそろうと、ガブリエルが、純真な娼婦というキャラクターに作り上げられていても、全く不思議に見えない。だから、二つの相反する方向に、素直に向かうのだろう。


ガブリエルがこの映画のなかで、マリリン・モンローのようにブロンドで、最もかわいらしく見えるのは、ラストでのマジックショーでの胴体切断のときだ。もう、どうにでもなって、というような、あきらめたせつない表情を見せるのである。


オープニングからして、オペラのアリアが流れるなか、タイトルロールは真っ赤な背景に現れる。初めから、どこか異様なムードを漂わせながら、それは普通のモラルやたびたび出てくる本のタイトルやら知的な仕事やらの次元には、ついに戻らぬまま、ラストまで、不道徳にして退廃の楽しみに満たされているのである。


ガブリエルのような純真な娼婦は、こんな過酷な運命にさらされたなら、仕事としての娼婦に、成り下がってしまうのだろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。