映画 『E.T.』

監督:スティーヴン・スピルバーグ、脚本:メリッサ・マシスン、製作:スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、撮影:アレン・ダヴィオー、編集:キャロル・リトルトン、音楽:ジョン・ウィリアムズ、主演:ヘンリー・トーマス、ドリュー・バリモア、1982年、115分、原題:E.T. The Extra-Terrestrial


封切以来、久々に観た。いま観ると、やはり典型的な子供向け映画であることに変わりない。チープな夢物語の域を出ていない。

見えない恐怖から見える恐怖へ、そして見える恐怖から見える愛着へと、いい悪いを別として、スピルバーグの制作遍歴を知るのにも道しるべとなる作品だ。


いずれにしても、このテンポの遅いお子さま向け映画は、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)、『大地震』(1975年)、『ジョーズ』(1975年)などで知られるジョン・ウィリアムズの音楽の連続なくしてはありえなかった。それでも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)並みに、子供たちの感性を揺さぶる作品として記憶される作品なのは確かだろう。


正直言って、E.T.は醜い容姿と肢体をしている。映画の主人公が醜いものまで「かわいい」と表現するようになったのはこの映画からだ。

ファンタジーを売りにする映画の主役が、多くの人が醜いとカテゴライズするような見てくれなのだ。背が小さく、頭はいびつで、手足の指もきれいとは言えず、肥満児だ。


人類に対する宇宙人、というより、白人に対する他人種という発想があったのだろうか。

いずれにしても、宇宙人が地球人より優越していると無意識に思っている観客にとっては、そのアンチテーゼを提供しているといえよう。身体的特徴が地球人あるいは白人より劣っているものを見せしめのように画面に登場させるのは、映画の本来のありかたからすれば逆行になる。それをあえてしたのは、観客こそ一番でなければならないからだ、と考えたからだろう。観客が優越感を感じて観ていられてこそ、興行的にもロングヒットになるからである。


醜いものが主役でいられるのは、観客にそういう了解を成り立たせている内容の映画だけである。

つくづく思うのだが、いろいろな作品群からして、スピルバーグという人は子供のころ、いじめられていたような気がしてならない。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。