映画 『静かなる決闘』

監督:黒澤明、脚本:黒澤明、谷口千吉、原作:菊田一夫『堕胎医』、撮影:相坂操一、編集:辻井正則、美術:今井高一、音楽:伊福部昭、主演:三船敏郎、志村喬、1949年、95分、モノクロ、大映。


軍医であった藤崎恭二(三船敏郎)は、戦時中、野戦病院で患者を手術中に、自分の指先を切り、患者の血液と触れてしまった。その患者は梅毒で、藤崎自身も血液検査をしたところ、陽性であることが判明した。

6年後の1946年、父(志村喬)の産婦人科に勤める藤崎は、戦争前からの許嫁、美佐緒(三條美紀)に距離をおくようになっていた。当時、梅毒はサルバルサンという注射を定期的にしても、ほとんど完治できない病気であり、また、梅毒は女遊びの象徴ともされていたからであった。

それでも医院に足しげく通う美佐緒に、藤崎はついに真実を話さず、別れをむかえることになり、美佐緒は他の男に嫁ぐ。・・・・・・


映画中、アッペという言葉が出てくるが、会話にもあるように、盲腸のことである。

不治の病い、それも人に言えない病いをかかえて、婚約者にも真実を言えない男の苦悩を描いた映画だ。タイトルは、この内容を表している。


この映画のもうひとりの主役は、看護婦見習いから看護婦になる峯岸(千石規子)である。

ダンサー上がりであって、腹に子供がいる状態で男に捨てられ、自殺をしかけたところを、藤崎に助けてもらい、以後病院内に寝泊まりさせてもらううち、看護婦の手伝いをするようになる。

初めのうちは、看護婦になる勉強もろくにせず、あきらめ半分のぐうたらな女であったが、藤崎が父親に、美佐緒を遠ざける本当の理由を話しているのを盗み聞きしてしまい、藤崎の心のうちと覚悟を知り、みずから改心して看護婦となり、子を産み、育てていく。


後半のヤマに、藤崎と峯岸の対話があり、そこに、この映画の中心的テーマが語られる。それは、あす結婚するという美佐緒が、最後の別れを言いに来た直後のことであった。


黒澤もどこかで自ら語っていたが、この初期作品は、ストーリーとしてはまあまあだったが、絵としては失敗したと言う。それは、冒頭から戦後の藤崎病院に行くまでのシーンがすばらしく、そのあとにこれを越えるシーンがなかったことを言っている。

豪雨の蒸し暑い野戦病院のなか、負傷兵が次々と運びこまれてくる。降りしきる雨のなかで、疲れ果てた藤崎は、なおも負傷兵の手術をする。手術中に天井から雨漏りがあり、部下に金だらいを持たせてその下に立たせると、金だらいに落ちる雨粒の音がよく響き、手術する藤崎の焦燥を煽り立てる。カメラは回り込みながら、手術のようすの緊迫感を忠実にとらえていく。

たしかに、いきなりぐいーっと引っ張り込む演出はみごとだ。


これに対し、それ以降は、会話中心の舞台劇のようになり、絵よりは言葉が重視されてしまっている。

そんななかで、藤崎と峯岸の対話部分で、映像としてもある程度、引き締まるのである。


心の葛藤を描いた実に堅苦しい内容ではあるが、カメラワーク、演出、編集など、やはり黒澤映画には、学ぶ点が多々あり、映像の源泉であることに変わりはない。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。