監督:金子修介、原作:絲山秋子、脚本:高橋美幸、撮影:釘宮慎治、編集:洲崎千恵子、音楽:MOKU、主演:成宮寛貴、内田有紀、小手川祐子、2010年、120分、ゴー・シネマ。
酒も煙草も縁のなかった童貞の19歳大学生・秀成(ひでなり、成宮寛貴)は、ある日、飲み屋で額子(がくこ、内田有紀)という年上の女に出会う。そのおでん屋は額子の母親(小手川祐子)が切り盛りしていた。
秀成は額子に誘われるままピンク映画を観たあと、額子のへやで一夜を過ごす。秀成はセックスに狂い、酒の味も覚え、額子は愛の対象となるが、額子は突然別れを切り出す。・・・・・・
群馬県高崎市を舞台に、年上の気の強い女と、世間知らずのぐうたらな学生の恋の道ゆきを描き出す。秀成を中心に家族や友人という心の環境をきちんと入れながら、初めての女、年上の女に溺れ、酒に溺れ、やがてアルコール依存症になり回復し、久しぶりに額子と出会い、意を決するまでの秀成の姿を、彼の気持ちのままに描写している。
約10年に及ぶ、秀成の現実と心の変容ぶりを、一定のトーンをもってラストまでもっていくことにほぼ成功している。
これぞという決めセリフを確実に盛り込み、衣装や髪型での時間の変化はみごとだ。
夫と別れ、事故で左腕を失った額子とアルコール依存症を何とか克服した秀成、この傷だらけになった二人に、以前と同じ感情が芽生えこそしたが、別れている間に、互いに対する心は化石化してしまい、肉体は昇華していた。そのかわり、そこには、二度と化石にはならない、新たな決意が読み取れる。
観音様やだるま市、吹割の滝、清流など市内の風景を適度に挟み、二人の自然ななりゆきを演出しているのはいいが、全体にもう少しカメラで遊んでほしかった。内容からして節度のある撮りに終始したようだ。
原作もそうなのであろうが、この映画のテーマは純愛というより、間の抜けた言い方だが、長持ちした両思いで、それぞれが不在となることをきっかけに運命は二人をそれぞれに傷つけるが、その傷を負っているからこそ、再会が未来を約束するという設定だ。
脚本のアラがあるとすれば、原作の大きなうねりがそうなのだから、映画に責めを負わせるわけにはいかない。
しかし、純文学の映画化は、やはり限界がある。それでも、秀成と額子を暖かく見つめるストーリーは、生きる厳しさのなかに思いやるまなざしをたたえて、二人を見守っている。
額子が飼っていた「ほしの」という犬、はずれ馬券など、ポイントになる「モノ」への演出もよい。
あえて言えば、こうしたストーリー展開や二人のセリフからして、もっと濃厚でカメラの動くセックスシーンが必要だったと思う。
監督の金子修介は、日活ロマンポルノの助監督出身だからお得意のはずだが、あえてそのへんを抑制したのだろうか。性描写が濃すぎると脈絡を失いがちだが、この映画では逆にそのくらいの描写があってもよかっただろう。特に額子に、肉の匂いがしないのだ。
そのために、全体に淡泊な仕上がりで、再会後のやりとりに対し、いまひとつ感情が入れられない。
成宮も内田も、よく演技していると思う。脚本と演出の問題だ。脚本が女性ということと関連しているだろうか。
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