映画 『赤い風車』

監督:ジョン・ヒューストン、脚本:ジョン・ヒューストン、アンソニー・ヴェイラー、原作:ピエール・ラミュール『ムーラン・ルージュ』、撮影:オズワルド・モリス、編集:ラルフ・ケンプレン、音楽:ジョルジュ・オーリック、主題歌「ムーラン・ルージュの歌」、主演:ホセ・ファーラー、ザ・ザ・ガボール、1952年、123分、カラー、イギリス映画、原題:Moulin Rouge


原題邦訳は『赤い風車』だが、DVDでは「ムーラン・ルージュ 赤い風車」となっている。


舞台は1890年パリ、画家ロートレックの死にいたる前の約10年を描いた作品。

といっても、自宅アパートと、世紀末パリのダンスホール「ムーラン・ルージュ」を中心とした恋の遍歴の物語。


公爵家の息子でもあるが、事故で両足をケガし、小人のように身長が低いというハンディを背負っている。

今では、酒を飲みながら、ダンスホールの踊り子たちを描くのが日課になっている。

この間、二人の女と出会うが、身体のコンプレックスからはのがれられず、結果的にどちらの女も、彼の前から去っていく。

死の床についたロートレックに幻想があらわれる。それはムーラン・ルージュで踊るダンサーたちの姿であった。


19世紀末のフランス…ベルエポックと賞賛されるヨーロッパの平和な時代。そこにはさまざまな芸術が花開き、絵画にしても、従来の流れを組む印象派などからはみ出た画家が何人も輩出された。

上流階級の婦人を描くのではなく、ロートレックのモデルは常に、ダンスホールで踊るダンサーやそこに集う客たちであった。


フィルム・ノワールの代表作『アスファルト・ジャングル』(1950年)を撮ったのと同じ監督の作品とも思えない。

ジョン・ヒューストンらしいところは、ロートレックの生きざまと並んで、ムーラン・ルージュそのものやそこに生きる人々を、生き生きと存在感をもって描き出した点であろう。


ロートレックを演ずる名優ホセ・ファーラーの、嘘を言えない、恋に不器用な紳士ぶりと、華やかなムーラン・ルージュの店内や踊り子たちとのコントラストが効いている。

何より、世紀末パリの人々の衣装、街並、ムーラン・ルージュや踊り子のステージ衣装、ロートレックの室内など、カラーでしか味わえない、いかにもモダンな色づかいの再現がうれしい。


1952年の作品でありながらカラーにしたのはそれを見せるため以外の何ものでもないだろう。

よく観ると、クリストファー・リー、ピーター・カッシングもわずかに出ており、いわばドラキュラコンビだ。

ザ・ザ・ガボールのあでやかな衣装や表情や歌声も、まさにこの映画での存在感として生きている。


冒頭、ダンスの終わったところで、階段の上からザ・ザ・ガボールが「ムーラン・ルージュ」を歌いながら降りてくる。すてきな演出だ。

音楽のジョルジュ・オーリックは後に、『ローマの休日』(1953年)『恐怖の報酬』(1953年)『居酒屋』(1956年)『クリスマス・ツリー』(1969年)などで知られることになる。


20世紀中頃に、19世紀末を描き出したこの映画を、21世紀初頭に(最近)作られた『ムーラン・ルージュ』(2001年、主演:ユアン・マクレガー、ニコール・キッドマン)と、比較してみたいものだ。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。