監督:レオン・ポーチ、脚本:ポール・ホフマン、撮影:オリヴァー・カーティス、編集:ロビン・セールズ、音楽:ジョン・ラン、オルランド・ガフ、主演:ジュード・ロウ、エリーナ・レーヴェンゾーン、1998年、95分、イギリス映画、原題:The Wisdom of Crocodiles
医師で研究者のスティーヴン・グリルシュ(Steven Grlscz、ジュード・ロウ)は、女性と出会い、自分を愛してくれるようになると、その血液を吸って生き延びることができる。
やがて、アン・レヴェルス(エリーナ・レーヴェンゾーン)とも出会うが、彼女から血を吸うことを躊躇する。グリルシュはアンを、本当に愛してしまったからだった。・・・・・・
吸血鬼神話の現代版というより、それをはるかに逸脱し、そういう設定での真実の愛なるものを描き出したかったんだろう。
与え与えられる相互の愛といった日常感覚から脱して、まるで延命治療の手段のように、自分を愛する女性の首に食らいついて血を吸うという設定がほしかったのだ。
医学者らしくいろいろな知識もセリフに現れる。人間の脳には三つあり、人間本来の脳、その奥に動物の脳、さらにその奥に爬虫類の脳がある、など。
まさに、この爬虫類を代表するクロコダイルの意志が、グリルシュをして女性に噛みつかせるわけだ。原題は「クロコダイルの知恵」で「涙」は意訳だ。ちなみに、Crocodilesと複数形になっている。
終始なめらかな映像、穏やかな音楽、ジュード・ロウとエリーナ・レーヴェンゾーンという美男美女の細やかな表情の演技に満たされ、やや小難しい吸血鬼もどきの話を、サスペンスタッチ且つロマンチックに描いている。
グリルシュが子音だけのスペルだったり、グリルシュの社会保険の番号がなかったり、グリルシュの家のドアから中は映しても外から入るシーンがなかったりと、グリルシュが実在していながら、あたかも架空的存在(吸血鬼)であるように見せているのはうまい。
現実の社会であるからにはグリルシュのしたことは犯罪であり、そういう社会といかにして折り合いをつけながら生活しているかについては、彼を容疑者として追う刑事とのやりとりが平行して語られ、吸血という所業の対立軸に置かれている。
アンの仕事が、建設現場でセメントの強度を調整する仕事であるのをはじめ、グリルシュがまとう衣装の色、ほとんど笑いを見せぬグリルシュ、刑事たちの黒い服など、グリルシュの生き延びる方法ゆえに、条件を整えたうえで、全体に落ち着いた無機質なトーンで統一されている。
グリルシュのへやの置物や扉などに東洋趣味がみられ、二人で箸を使って弁当を食べるシーンもある。イギリスからすれば異国情緒なのか、架空世界の演出の一環なのか。
血がテーマでありながら、ケガ程度のものしかほとんど血を見せない不思議な映画だ。
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