映画 『恋の罪』

監督・脚本:園子温、撮影:谷川創平、編集:伊藤潤一、音楽:森永泰弘、主演:水野美紀、2011年、144分、日活。


『冷たい熱帯魚』(2011年)ほどのグロシーンはないかわりに、女優の乳房や陰部が映され、性交のシーンも多い。といって、エロティックな映画でもない。

女性(オンナせい)を限りなく、一定の方法で掘り下げていったら、こういうアプローチと展開になった、という女性(オンナせい)の「心理・身体」剔抉(てっけつ)映画だ。

ひとたびオンナせいを暴き出すと、そこには、昼間は見えない姿が現われ、その姿は、他人にわからないどころか、当の本人も初めて気が付くといった代物(しろもの)だったのだ。


その姿を、さらにひん剥(む)いていけば、おのずからその核になる底に至りつく。それは、オンナせいの心理的底面であると同時に、身体的底面でもある。

そしてこの底面は、社会性においては、文字通り底辺に位置してしまう。

それを自覚したとき、オンナせいは、隠されていた底面を空気にさらし、心と陰部に寒風が当たるように痛みを覚え、子供の小遣い程度の金銭的価値でしかなくなってしまう。


冒頭に出てくる、マネキンと組み合わされた死体をはじめ、ここぞというシーンで、カメラは丁寧に動く。ハンディを多用したのも、前作と同様で、内容に沿ったカメラワークで、こちらの作品のほうが、内容展開にカメラが沿っている。

ところどころ笑いをとるような場面もありながら、本筋は至って、観客の思索を要求する映画だ。


惜しむらくは、セリフでの説明部分が多い。映像でうったえるだけではストーリー展開上、誤解を生むかもしれないと懸念してのことだろうが、そこにこそ映像のマジックを使ってほしかった。


前作よりおかしみはないが、創作哲学としてなら前進している。表の裏の裏は、必ずしも表とはいかない……展開のゆくえを、脚本自体が裏切って予想外に進んでいくという流れは定着したかのようだ。

前作同様、日活が製作しているが、映像的に他に頼めるところがないというだけで、内容上は、かなりシリアスな映画だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。