映画 『凶気の桜』

監督:薗田賢次、脚本:丸山昇一、原作:ヒキタクニオ、撮影:仙元誠三、編集:薗田賢次、大畑英亮、音楽:K DUB SHINE(キングギドラ)、主演:窪塚洋介、2002年、122分、東映。


「狂気」でなく、吉凶の凶の字をつかうところがミソとはなっている。


渋谷を根城にする山口(窪塚洋介)、市川(RIKIYA)、小菅(須藤元気)の三人は、白装束を身にまとい、アメリカ文化に侵食されただらしのない若者たちに、ネオ・トージョーという自分たち流のイデオロギーの下、世直しと称して暴行を働くなどしていたが、ある日、界隈で名の知られた青田(原田芳雄)にその存在を認められ、酒食をもてなされる。

青田の配下には、三郎(江口洋介)という‘消し屋’の男がいた。・・・・・・


言葉より行動だ、をモットーにする三人が、次第に、より上位の組織に飲み込まれ、バラバラの運命をたどるようすが、順序立てて描かれる。

『ドミノ』(2005年)風のカメラ使いが多く、映像の遊びとしておもしろい映画になっている。


一方で、ストーリーとしては通っているのだが、全体にセリフが弱い。この手のストーリーには、決めのセリフやシチュエーションがあってしかるべきと思うが、映像に凝るだけのセリフややりとり、演出がない。

その映像とて完璧とまではいかない。むやみにアップが多く、疲れる。アップの効果、遠景の効果…そういったものに素人のような気がする。

映像そのものはライティングなど活かし、とてもきれいで、ピシッと決まっている。映像に凝ったから多少ストーリーが置いてけぼりを食ってもしかたないということにはならないだろう。

窪塚洋介の滑舌が相変わらずよくない。全体的に、俳優のしゃべりに凄みがない。

江口洋介も表情と動きだけだ。ひとり、本田博太郎の怪演ぶりがよい。


音楽にヒップホップ系がよく使われていて、それなりの効果がある。セット以外は渋谷周辺のロケが多く、リアル感はある。

ケイコ(高橋マリ子)という女の子が出てくるが、ストーリー内の位置づけが曖昧だ。原田芳雄も、『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)ほどの存在感や存在の意味が感じられず、軽い。


蛇足だが、こういう映画に対するレビューに必ずといっていいほどあるのが、山口らのイデオロギーは、間違っているとかいいとかいうものだ。

映画なんだから映画のレビューしろよと言いたい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。