映画 『悪の教典』

監督・脚本:三池崇史、原作:貴志祐介、撮影:北 信康、音楽:遠藤浩二、主演:伊藤英明、二階堂ふみ、染谷将太、2012年、129分、東宝。


蓮実聖司(伊藤英明)は、ある高校で英語を教えている模範的教師。生徒からの信望も厚く、職員会議でも他の教師をリードするような存在だ。

娘がイジメにあっていると言って乗り込んできた父親との対応にも冷静であった。その生徒の家は、庭の周囲に水で満たされたペットボトルがズラリと並んでいた。

ある日その家が火事になり、父親は死んでしまう。……

学校ものでこの手の映画では『桐島、部活やめるってよ』(2012年)が知られるが、それとは全く別な味つけの映画で、いわゆる三池ワールドの祭典といったところだ。

ただ、三池作品としても、よくない方に転んだ作品だろう。

後半は、過去にトラウマのある蓮実が、猟銃で片っぱしから自分のクラスの生徒を殺しまくるシーンが中心で、15禁であるのは納得だ。


三池は常に、エンタメ性ということを忘れないから、ところどころにおもしろおかしいシーンも多く、くすっと笑ってしまうところは多い。

[海猿シリーズ」(2004年~)の伊藤英明が全く違う役どころを演じ、その表情や立ち回りもいいのだが、ストーリー上での各登場人物や各状況が、因果関係ではかろうじて結ばれていても、映画の内容として有機的に絡んでいないので、後半に向かい、蓮実の残虐性が高揚していっても、観ているこちらはほとんど高揚しない。

映像上のカラフルさや派手さはあっても、ストーリーに、進行させていく牽引力がないので、かなり興ざめである。

数学の問題にたとえるなら、一つの文章題を、基礎的公式から経験上の解法まで、さまざまなアイデアを使って解いていくような楽しみかたができない。

数字だけを変えた平易な例題を次から次へと解いていくような、平板で刹那的な楽しみしかない。

この点、エンタメ性というものを取り違えているようだ。あるいは、15禁でありながら、客層のターゲットを10代に絞り込んだような稚拙な展開である。


いろいろなエピソードが散りばめられているのは楽しいが、蓮実が幼少期より引きずってきているものと、いま現在との因果が説明されていないため、映像で凝っていても、ただただ軽薄なのである。

蓮実の心中は、冒頭より多少暗示されるが、そのへんが曖昧なため、多くの生徒や教師たちの登場人物の中にあって、いろいろな出来事を蓮実がどうとらえているかが明らかにならない。

タイトルにある悪の教典らしきものが出てくるには出てくるが、上っ面を撫でるような出し方である。

この蓮実の深層心理こそこの映画のテーマの底流であろうに、そこをあまり丁寧に描いていないので、物語としての牽引力が希薄となり、単に暴力シーンの連続だけに終わってしまっている。


後半のライフルシーンにもっていくための前半の置き方が弱かった。ただし、前半そのものは展開としてよかった。常にゆるやかな横移動のカメラも、この映画のテーマに沿っていて好感をもてるし、二羽のカラスのメタファーも、ファーストシーンから効いている。


三池お得意のカオス的世界・虚構の世界の描写も、さすがにこの学校ものにはほとんどマッチしておらず、『桐島…』のように、設定が高校でなければならない理由が見えない。

自分の生徒を撃ち殺すという内容はよろしくない、というのはハネケの『ファニーゲーム』(1997年)がよろしくない、というのと同じである。


映画というのは、とりあえず何でもありだ。

とはいえ、単にサディスティックでスカッとする映像を撮りたいというのが彼のエンタメ性だったとしても、なお、ストーリーの脆弱さと牽引力のなさは指摘されてもしかたないだろう。

それこそ、高校生あたりが作った投稿YouTubeを観ているようで、美術や編集にカネをかけただけの甲斐がない平板な仕上がりとなった。

興行収入は伸びたようだが、つまらない作品であった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。