監督:瀧本智行、原作:山根一眞、脚本:西岡琢也、音楽:辻井伸行、主演:渡辺謙、江口洋介、夏川結衣、2012年、136分、東映。
脚本は、『沈まぬ太陽』(2009年)などで著名な西岡琢也。
東映60周年を記念して作られたようで、相当の資金がかかっているのがわかるし、宣伝効果もあり、人気を呼んだ作品だ。
小惑星探査機「はやぶさ」の偉業を、その仕事にかかわった研究者らの挿話を交えて作られている。
2003年5月9日の打ち上げから、資料を採取して、カプセルが地球に戻る2010年6月13日までの「はやぶさ」のミッションは、決して平坦なものではなかった。
地球から約60億キロ離れた宇宙空間に浮遊する「イトカワ」と名付けられた惑星に着地し、そこの表面にある砂などをカプセルに採取して地球に帰還する<サンプル・リターン>が目的であった。このサンプルの砂により、宇宙の起源を解き明かすきっかけとするのであった。
「イトカワ」に着地するあたりまでが前半であり、危機を伴う「はやぶさ」の帰還のプロセスが後半で、きれいに時間も二分割されている。
機械の発明などにかかわる周囲の人々の苦労話というストーリーはよくあるのだが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)のようなSF作品ではなく、作り方を間違えると、脱線しっ放しになる恐れのある題材だ。
しかし、この映画は、その心配を充分にしたうえで作られており、カネをかけただけの価値のある大作となっている。VFXの映像もみごとであるが、しつこくなく使われるので、鼻につかない。
「はやぶさ」のそのとき現在の状態と、それにまつわる研究者らの対処のしかたが、付かず離れずの距離を保ちながら進行していくのがよかった。
打ち上げプロジェクトのJAXA・総責任者、山口駿一郎(渡辺謙)、エンジン担当の研究者である藤中仁志(江口洋介)、藤中の仲間で今は民間企業(NEC)に籍を置く森内安夫(吉岡秀隆)、宇宙事業の取材記者(朝日新聞)・井上真理(夏川結衣)、カプセル担当の鎌田悦也(小澤征悦)、井上の父(山崎努)や息子など、過不足ない数の登場人物が、それぞれにキャラクターを鮮明にしつつ、映画上の役割を与えられており、それに役者がきちんと応えている。
多くの出演者があるが、それぞれに演技達者であり、中でも、登場は少ないが、石橋蓮司はうまい。
内容からそもそも、「はやぶさ」に対し、思いはひとつになっているのだが、この構成と役回りのそれぞれの規模が適切であった。研究者などの人的な広がりや規模も、適切であった。
「はやぶさ」を脇に置きながら、特定の人物描写にのみ片寄ったり、そこに恋愛などを絡ませるとロクなものにならない。
帰還という収斂するストーリーとともに、周辺の人物群も、登場のローテーションを敷かれつつ、収斂に動いていくのが快い。
脚本がよいと、撮りやすいし、編集もよくなる。
内容からして、基本的に、カメラは穏やかに動く。何度か危機を迎える「はやぶさ」に対し、みんなが心配したり、アイデアを出し合ったり、またそこで口論になるようなところも、ワンシーンごとの長さと切り返しが適切だ。
7年という時間経過は、背景の景色などに現れるが、むしろ、セット内に人が多くいるシーンでのフレーム処理がいい。これはなかなか難しい。
同時に、役者の動きにかなり細やかな演出をほどこしているのがわかる。これは観ていればわかることで、監督の意気込みの表れだ。
「はやぶさ」の打ち上げと帰還というテーマを基軸に、それにかかわる研究者たちという地球上の人間のなりわいまでが描かれた。一歩間違えると駄作になるおそれのあるストーリー展開だが、それぞれのバランスがよく保たれている。
そこここに、映画製作に対する誠実な姿勢も垣間見られ、好感のもてる秀作となった。ラストをあっさり仕上げたのもよかった。
おそらく、全体に、プロジェクトマネージャーも引き受けた渡辺謙の意向がはたらいているように思う。
冒頭、「はやぶさ」の内部から外見までが映されたあと、かつて舞台のなった研究室に、山口が訪れる。そこから回想して、本編に移行する。
室内を歩く山口がつまずく。古びた床には、配線を覆うカバーがはがれていて、そこにつまずいたのだ。それをテープで簡単に修理すると、そこからそのまま、打ち上げの日に飛ぶ。
2003年に戻り、招いたアメリカ人の学者が、山口の勧めでイスに座るが、そのイスもスポンジがはみ出てボロくなっている。
はがれたテープと傷んだイスとは、二つの時間を結んでいる。この演出は、その後の展開に向け、功を奏している。
宇宙空間を「はやぶさ」が飛ぶようすは、『2001年 宇宙の旅』(1968年)を思い出させる。できればスクリーンで観たかった作品だ。
唯一気になるのは、たしかに吉岡秀隆は演技はうまいのだが、やや過剰な気がする。あの役は、他に適役がいなかったのだろうか。
0コメント