監督:黒澤明、脚本:黒澤明、井手雅人、監督部チーフ:本多猪四郎、アドバイザー:橋本忍、撮影:斎藤孝雄、上田正治、撮影協力:中井朝一、宮川一夫、照明:佐野武治、美術:村木与四郎、録音:矢野口文雄、音楽:池辺晋一郎、主演:仲代達矢、山崎努、萩原健一、1980年、179分、東宝。
井出雅人は、『点と線』の脚本担当。その後、黒澤と仕事をするまでになった。
主役を予定していた勝新太郎とのケンカ別れ、映画音楽のベテラン佐藤勝との決別、予算オーバーを黒澤のファンである米国人監督にすがることによってカバーする、など、当時、映画の外でも話題の多かった作品だ。
『乱』を撮るためのエチュード(練習曲・試作品)とも言われるほど、両作品は出演者などにおいても類似している。
実際、黒澤の狙ったものが、映像の美意識であるなら『乱』のほうが上であろう。
ストーリーは、どちらも戦国の世を題材とするも、難しい政治謀略を内容とせず、いくさのシーンこそ見てくださいと言わんばかりの作品である。
自然の雲、天候もみごとに切り取られている。むろん、狙いの雲や情景などになるまで、何日も待ってたくさん撮り、編集段階で大部分を捨てるというやりかただ。
『乱』は何度か観ているが、『影武者』を観るのは実は初めてである。
率直な感想として、もう二度と見ないだろう。嫌いな作品ではないが、もう一度観たいなと興味をそそる材料がないのだ。
よく、黒澤映画を、白黒で撮られた前期のものと、カラーを使い始めた後期のものに分けて批評するが、同一人物が撮っているものと思えば、やはり後期の作品群には、力強さなり人間の業から生まれいずる人間臭さなりといったものが消え去ってしまっている。
おそらく、「そういうふうに」黒澤が、映画の道を歩いたのだ、と言うしかない。
大御所になれば、客入りも期待でき、カネも集まり、何でもできるようになる。オムニバス映画『夢』を観てもわかるとおりで、華やかな夢もあり、心沈む夢もありだが、ストーリー性などうっちゃってまで、黒澤は自らの思う美しい絵を撮るのに固執している。
本作も、なぜこうもしつこいシーンが多いのかと思われるくらい、同じシーンを違う角度から何度も見させられる。わざと、日暮れ近い時間に、暗いほうから明るいほうにカメラを向け、残光の手前で、対象が動くようすを撮っている。
たしかに、人の乗った馬が列をなして遠景から手前に走ってくるシーンや、合戦のシーンなど、迫力満点である。その一方で、影武者の盗っ人が、信玄の遺体を見て悪夢に襲われるところでは、広大な書割を用意して、そこを盗っ人に右往左往させるが、何とも滑稽なシーンを入れたものと言わざるをえない。
主役、特に、萩原健一はこの役に収まっているし、新米の若い俳優らの真剣な演技は、ベテランに比べれば余裕もなく劣るものの、こうした内容でな新鮮でひた向きに感じられてよい。
問題は仲代達矢だ。何を演じても、上手に演じる、ロバート・デ・ニーロのような俳優だ。それだけに、すべてに無難で、安心して見ていられるが、やはり面白くない。
いわゆる、俳優としての「ずっこけ」がない優等生であり、簡単に言えば、ワイルドネスに欠ける。
映画を観た勝新太郎が、俺がやったらこんなつまらん映画にはならなかっただろうよ、と言ったそうだ。また、高倉健は、三船敏郎のもっていたものは仲代達矢には見当たらない、と言ったそうだ。
どちらも「ずっこけ」た持ち味のある俳優の言葉であり、自分としてはこれらの言葉に同調する。
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