監督:ヘンリー・ハサウェイ、脚本:チャールズ・ブラケット、ウォルター・ライシュ、リチャード・L・ブリーン、撮影:ジョゼフ・マクドナルド、編集:バーバラ・マクリーン、音楽:ソル・カプラン、主演:マリリン・モンロー、ジョゼフ・コットン、ジーン・ピーターズ、1953年、92分、原題:Niagara、20世紀フォックス。
ローズ・ルーミス(マリリン・モンロー)と、年の離れた夫ジョージ・ルーミス(ジョゼフ・コットン)は、ナイアガラ滝を臨むキャビンに宿泊していた。ジョージはローズに首ったけであったが、ローズのほうは、年長でしがない夫に飽き飽きしていた。
ポリー・カトラー(ジーン・ピーターズ)とレイ・カトラー(ケイシー・アダムス)は、新婚カップルであり、ルーミス夫妻が去ったあとのキャビンに宿泊する予定だったが、ローズによれば、ジョージの体調がよくないと聞き、別のへやに泊まらざるを得なくなる。
ある晩、キャビンの前では、若い男女らによるダンスパーティが開かれていた。ローズは、一枚のレコードを持ち、胸の開いたピンクのドレスを着て人々の中に現れる。かけてほしいと頼んだレコードのタイトルは「キス」であった。
ローズは、ポリーやレイとその曲を聴き、「キス」の一節をレコードに合わせて歌っていると、ジョージが飛び出してきて、そのレコードを壊し、へやに戻る。
ポリーは、すぐにはジョージの元に行きたがらないローズの代わりに、マーキュロを持ってジョージのへやに入る。ジョージによれば、「キス」という歌は、ローズが、誰か愛人を思って聴く曲だという。
一方、ローズは、その間に、公衆電話から愛人のアパートに電話し、皆の前で夫が異様なことをしたから、決行はあすがよい、と伝える。ローズは愛人に、ジョージを自殺に見せかけて殺すなら、あしたがよい、と伝えたのだった。・・・・・・
マリリン・モンローの名前を世界に知らしめさせた作品。これ以前にもモンローが準主役で出た映画に『ノックは無用』(1952年)があるが、カラー作品への出演は初めてである。
サスペンスものとしては、至ってシンプルであるが、テクニカラーと、当時の映画撮影としては先端技術を駆使しており、そこにモンローという被写体を得て、映像としては注目される作品となった。
そう、ある意味、この映画は、主演がモンローであるから、その映像技術も光るのである。モンローの演技に期待しての起用とは言えない。被写体としてのモンローの容姿と肢体が必要だったのでる。
モンローの作品としては、モンローが最も官能的に撮られた作品でもある。衣装なども、およそこの状況でこの服装はあり得ないだろうという場面でも、映像としてのファッションが不可欠だったのだろう。
ローズがジョージに首を絞められ、床に倒れるシーンが、天井から撮られる。続いて、倒れたモンローの全身をアップにしたショットが続くが、モンローの顔や手足の位置が、倒れたときと違っている。これなども、単にミステイクなのではなく、被写体としてのモンローを撮るという一念から生まれた結果であろう。
モンローは数箇所で、いわゆるモンローウォークを披露している。
この映画の優れた点は、迫力ある有名な瀑布ナイアガラと、マリリン・モンローという官能の象徴的存在が、それぞれ他の追随を許さぬほどに存在感を誇示しながらも、両者が牽引し合いながらも絶妙のバランスをとっているところだ。
ラストでは、追ってくる警察から逃れようと、ポリーだけを乗せたまま、ジョージはボートを走らせる。ガス欠になったボートは漂流し、ジョージは苦肉の策で、舟底に穴を開け、ボートを沈めようとするが、舟は激流に流される。何とかポリーだけを救い、ローズを殺してきたジョージは、舟もろとも、滝壺という奈落の底へと落ちていく。
モンローは途中で姿を消すが、その存在は、映画ラストまで続く。ついに、ジョージと舟が巨大な瀑布に消える事実と、同じ大きさをもって、存在し続けるのだ。
ヘンリー・ハサウェイは、西部劇からスタートした監督であるが、その経験を活かし、フィルム・ノワールの分野でも刺激的な作品をつくった。本作品はその線上に現れたものと言えよう。
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