映画 『手紙』

監督:生野慈朗、脚本:安倍照雄、清水友佳子、原作:東野圭吾『手紙』、撮影:藤石修、編集:川島章正、音楽:佐藤直紀、主演:山田孝之、沢尻エリカ、玉山鉄二、2006年、121分、ギャガ。


武島剛志(つよし、玉山鉄二)は、武島直貴(なおき、山田孝之)の兄であり、兄弟には両親がいなかった。剛志はある日、直貴の大学進学の費用に当てようと空き巣に入るが、住人の老婦人に見つかり殺してしまう。

剛志は終身刑となり千葉刑務所に服役しており、直貴との手紙のやりとりだけが楽しみであった。直貴は、自分のために強盗殺人を犯した剛志に申し訳なく思いつつ手紙の交流を続けているが、職場で、強盗殺人犯の弟ということがバレると、そのつど職場を変えざるを得なかった。この<受刑者の弟>というレッテルが自分に終生付いて回るのかと思うと、直貴はさすがにいたたまれなくなるときもあった。

そんな直貴に、一方的に好感をもってプレゼントをするのが由実子(沢尻エリカ)であったが、直貴は自分の身の上から、由実子に関心を示さなかった。・・・・・・


監督の生野慈朗(しょうの・じろう)は、『3年B組金八先生』などを手がけた演出家であり、監督映画は少ない。ただ、この細やかな演出を必要とする本作品には打ってつけだったといえるかも知れない。

明るい笑顔を想起させることの多い、山田孝之、沢尻エリカ、玉山鉄二、その他の脇役俳優を、シリアスな役で使うことで、キャスティングが成功している。直貴は、中学生時代からの友人・寺尾祐輔(尾上寛之)と、「テラタケ」という漫才コンビを組みメジャーデビューを目指しており、お笑いのシーンを適宜挿入していく脚本もよかった。そしてこのお笑いは、ラストでこの映画の圧巻となっている。


満開の桜は、ファーストシーンとラストシーンの双方で使われる。冒頭では、暗いストーリーとの対比に使われ、ラストでは、直貴一家の未来の象徴に使われている。

カメラの動きに特筆するようなものはないが、剛志と直貴は、互いに手紙にある内容しか知らない相手の環境やその変化を、観る側はクロスカッティングによって、変化を含め相互に実際に観ている。それぞれの相手に対する思いは、観客にはリアルに伝わるが、直貴の心情の変化を剛志は知らない。剛志に与えられた狭い環境と止まってしまった時間のなかでは、直貴の環境や考え方の変化を想像するのは難しい。


由実子の存在は、ストーリー上の伏線ともなっており、外見上も、食堂で働いているときはメガネをかけ、その後ラフなファッションを見せ、直貴の妻となってからは若い母親に化けていく。

由実子が直貴の秘密を知ったあとでも、いつまでもまとわりつき、やがて直貴の婚約者らしき女性を妬み、その後、直貴のふりをして剛志に手紙を書いていたことがばれるなどする過程で、少しずつ直貴は由実子に気を許し結婚することになる。


冒頭のほうでいきなり出てくる由実子こそ、直貴のよき理解者となり支えとなっていく存在であった。一方、中学時代からの友人であるのに、寺尾の登場は直貴の心情変化のポイントには用意されず、少し残念と思っていたが、ラストはまさに二人の漫才のシーンが大写しになるわけで、全体に実にバランスのとれた作品でもある。

このラストでは、剛志の泣き顔を含め、短いショットを畳みかけ、剛志と直貴両者が久しぶりにまみえた感動、兄弟であるからこそその場で行き交う心情を、たくみに表している。


未経験の世界のことを演じるのが俳優の仕事とはいえ、若い俳優にとっては、多分に難しい演技を強いられる映画だ。

主役三人がそれぞれ登場するシーンに、ベテランの脇役俳優がいっしょに入るシーンもない。せいぜい、勤務先の会社の会長・平野(杉浦直樹)が現場に訪ねてきて、直貴に話をするシーンくらいだ。


映画としてのラストと別に、「兄弟のストーリー」のラストとも言うべきところがある。直貴が、剛志に代わり、被害者の息子である緒方忠夫(吹越満)を訪ね、居間で幾分かの会話がなされる。

ある意味、この映画の根幹をなすシーンであり、涙せずにはいられない。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。