監督:ルイ・マル、脚本:ロジェ・ニミエ、ルイ・マル、原作:ノエル・カレフ、撮影:アンリ・ドカエ、編集:レオニード・アザー、音楽:マイルス・デイヴィス、主演:ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ、1958年1月、92分、フランス映画、モノクロ、原題:Ascenseur pour l'échafaud(死刑台へのエレベーター)
ルイ・マル(Louis Malle, 1932年10月30日 - 1995年11月23日)、25歳のデビュー作品。
フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)が、電話ボックスで、ジュリアン・タヴェルニエ(モーリス・ロネ)と話しているファーストシーンから始まる。
ジュリアンは、フロランスの夫が社長を務めるカララ商会の有能な社員であり、フロランスと恋愛関係にある。ジュリアンは社長を社長室で自殺に見せかけて殺害し、その後、外のカフェで会う約束をした。
実行後、車に乗り込み、上を見上げると、自分のへやから社長のいる上階へ外から昇るために使ったロープをそのままにしていたことに気付く。車内に戻り、エレベーターに乗り込むと、誰もいなくなったことを確認していた警備員が、電源を落としたので、ジュリアンはエレベーターに閉じ込められてしまう。
一方、キーを付けたままのジュリアンの車を見た、向かいの花屋の娘ベロニク(ヨリ・ベルタン)と、そのボーイフレンドで不良のルイ(ジョルジュ・プージュリイ)は、その車に乗り、走り出してしまう。
カフェで待っていたフロランスは、その車が目の前を通り、助手席に若い女が乗っているのを見て落胆する。
フロランスはやるせない気持ちで夜のパリの街をさまよい歩く。翌日、新聞で、ジュリアンが、ある事件の容疑者になっていることを知り、ジュリアン救出に動き出す。・・・・・・
いわゆるサスペンス調の映画で、あらすじはこんなところであるが、この映画ほど、あらすじでは通じない要素をもっている映画もない。映画はあらすじではなく映像である、ということを私に確信させた映画であり、この映画こそ、私を映画好きの道へと引きずり込んだ作品である。
今まで何度となく観てきたが、レビューを書いたことがない。書かないのではなく、書けなかったのだ。初めて観たとき、棍棒で頭を叩き割られたような強烈な印象を受け、それ以来、この映画が、私にとって、映画の代名詞になってしまった。
中核は大人同士の不倫の愛だが、それにまつわるいくつかのエピソードが副次的に語られる。ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネは適役であり、特に、モローの容姿や目つきは、この映画にうってつけであった。
二箇所を交互に語る秀逸な脚本、エレベーター、しゃれた車、夜の飲み屋街、夜の高速道路、不良の少年少女の無鉄砲な行動、この頃はやり出したモーテル、小型カメラ、拳銃、・・・こうした背景や小道具と、流れるようなカメラワーク、シーンに合わせて即興で作られたマイルス・デイヴィスのトランペットにより、不倫の恋や殺人が、あたかも、少しの衝撃でも壊れてしまうような陶器のような錯覚に陥る。
ラストで、フロランスとジュリアンの仲睦まじい写真が、数葉、現像される。出来上がった写真ではなく、現像液の中に二人の<幸福の一瞬>が浮き上がってくる演出が心憎い。こうして、観ている側に、初めて、二人の恋のシーンが明かされる。そして、この映画のなかでは、ついに、二人が会うことはなかった。・・・
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