監督:溝口健二、原作:川口松太郎、脚本:依田義賢、撮影:宮川一夫、編集:宮田味津三、美術:小池一義、音楽:斎藤一郎、主演:木暮実千代、若尾文子、1953年(昭和28年)、85分、モノクロ、大映。
囃子(はやし)とは、笛、大鼓、小鼓、太鼓で、謡や能をはやしたてることであり、芸妓が宴席で披露する持ち芸である。
溝口健二、55歳、木暮実千代(こぐれ・みちよ)、35歳、若尾文子(わかお・あやこ)、20歳、浪花千栄子(なにわ・ちえこ)、45歳のときの作品。
溝口健二は、直前に、森雅之、京マチ子主演『雨月物語』を撮り、国内外から高い評価を得ている。
京都・祇園の細い路地を、若い女が歩いていく。
名前は栄子(若尾文子)、どうにもこうにも食べていけなくなり、母の知り合いの芸妓・美代春(みよはる、木暮実千代)を頼って来たのだった。
最初は渋った美代春だが、栄子の事情を知り、絶対に音を上げないことを約束して雇う。
さまざまな稽古を積み、家内の雑用もこなして一年後、見習い芸妓から、晴れて栄子は美代栄(みよえ)という源氏名をもらい、一人前の芸妓として独立する。
見世出し(みせだし、芸子としての初お披露目)には、豪華な衣装が必要で、美代春は、祇園では顔役となっているお茶屋(芸妓を呼んで客に飲食をさせる店)の女将(おかみ)・お君(浪花千栄子)に借金する。
着物も整い、美代栄は美代春に率いられ、男衆ともどもご近所に挨拶回りする。
ある日、二人は、贔屓客である大手車両会社の専務・楠田(河津清三郎)とその部下・佐伯(菅井一郎)の席に呼ばれる。そこに同席していた官庁の課長・神崎(小柴幹治)は、美代春に一目惚れする。
これを知った楠田は、美代春を神崎に近づけることで、事業を有利に進めようと画策し、同時に、気に入った美代栄を水揚げ(美代栄の「旦那」になること)しようと企む。・・・・・・
カメラの横移動(線路の上にカメラを据えて横に移動しながら撮る)やクレーン撮影(クレーンショット)、やや高いところにカメラを設置した撮影など、溝口らしい手法があちこちに見てとれるが、演出にかかわるカメラワークとしては、クローズアップが全くない、という点に注目すべきだろう。
どんなに悲しい表情や、物思いにふけるシーンでも、顔のアップは一つもない。昨今の監督なら、平気でアップにしたいところでも、それを自重して、せいぜいバストショットとなっている。
特に女優であればアップにしたいところであっても、スクリーン上での顔の大写しは、役柄でなく、その女優個人の顔になってしまうおそれがある。
何より、顔のアップというのは品がない。それは映画職人がすることではない、ということだ。そして、クローズアップが多いと、観ているほうが疲れるのだ。
ロングショットの多用も、溝口の特徴の一つだ。カメラの位置から、はるかに離れた被写体を撮ることで、手前のものから離れたものまで焦点を合わせる(被写界深度を深くする、パンフォーカス)必要がある。
こうして撮られたシーンは、我々の視覚同様で、自然にスクリーンを見ていることができる。
若尾文子の初々しさと、木暮実千代の円熟さの掛け合い演技の妙がみごとだ。
生活のために、まっすぐに芸道に進んでいく美代栄と、長年、結婚せず身を引かずに、いまだ第一線で活躍する美代春のやりとりが軸となり、ストーリーとしてはよくある展開だ。
それを、的を射た台詞、沈黙、カメラワーク、さりげない場面転換で、一定の早さを保って、進んでいくのである。
二人とも、それぞれの粗相から、お君に仕事を干されるが、それらは徐々に修復され、ラストはまた新たな仕事へと、二人は並んで向こうに歩いていく。
いろいろあったが、色町でまた心新たに、あすに向けて生きていくというラストは、成瀬巳喜男(なるせ・みきお)監督で、高峰秀子が銀座のバーのママを演じた『女が階段を上(あが)る時』(1960年)を思い出させる。
厳しい監督の下で、すぐれた映画が出来上がる。
昨今のように、監督が、若い出演者やその所属事務所にやり込められている状況で、すぐれた映画などできるはずがない。
この後、溝口は『楊貴妃』(1955年)などを経て、1956年に『赤線地帯』を撮り、これが遺作となる。
『赤線地帯』は、売春防止法成立前の吉原の遊女の実態を描いた作品で、木暮実千代、若尾文子、三益愛子、京マチ子、沢村貞子らが出ている。
こちらも機会があれば、ぜひご覧いただきたい。
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