監督・製作・特殊効果:スタンリー・キューブリック、脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク、撮影:ジェフリー・アンスワース、ジョン・オルコット、編集:レイ・ラヴジョイ、主演:キア・デュリア、1968年(昭和43年)、141分、カラー、原題:2001: A Space Odyssey
映画ファンならずとも、よく名前の知られた映画。そして、キューブリック作品のなかでも不朽の名作と言われる。
全編は三つのチャプターから成り、順に、「人類の夜明け(THE DAWN OF MAN)」、「木星使節~18か月後~(JUPITER MISSION~18 months later~)」、「木星そして無限の宇宙の彼方へ(JUPITER AND BEYOND THE INFINITE)」と続く。
いずれにも共通して出てくるのは、人間の身長よりやや高めの石柱状の黒い石碑のような物体、すなわち「モノリス」であり、このモノリスがストーリーの象徴となっている。
モノリスは、文明あるいは文化、発明・発見、また、それに付随する知識・知恵・想像力などの統合的象徴であると同時に、それだけに、未知の世界への予感や希望、あるいは不安をも暗示していると解釈できる。
2001年には、すでに世界の宇宙研究は国際的に進んでいた。アメリカの科学者ヘイウッド・フロイド博士(ウィリアム・シルベスター)らは、月に発生した不可思議な現象の原因を探るため、月面のクラビウス基地に向かった。そこで見たもの不思議なもの(=モノリス)は、そこから木星に向かって強烈な磁力を発していることがわかった。
18か月後、二人の宇宙飛行士、デビッド・ボーマン船長(キア・デュリア)とフランク・プール(ゲイリー・ロックウッド)を冬眠中の三人の科学者を載せた木製探査用の宇宙船ディスカバリー号は、壮大な宇宙空間を木星へと向かう。この宇宙船には、最新鋭の人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータが搭載されていた。HALはディスカバリー号全体を統御するシステムそのものであり、二人を相手に人間のように会話することができた。・・・・・・
この映画に対する批判の多くは、科学性がない、という点である。ある程度のリアリティをもたせるために科学的根拠は必要であろうが、それはそういう研究材料を評価するときの視点である。これは映画だ。
今の時点から見ると、こうした批判が多くなるが、それは無意味な評価だ。
こういう批判を産む原因の一つに、キューブリック自身が、この映画のストーリーにあまり説明を付けず、観る者が想起するであろうさまざまな疑問に答えることなく、ドラマが進行していくからであろう。それは本人が充分わかっていたはずであるが、なぜそうしたのかといえば、映画監督なのだから、映像をみてほしかったに違いない。
今から60年近く前に、これだけ大胆なストーリーを映像化し、その映像がいまだこれほどきれいな状態で見られるというのは感動的だ。
カメラ技術に詳しいキューブリックであるからこそ実現できた作品である。
宇宙船の飛行、浮遊するペン、天井に向かって歩いていく女性スタッフ、ディスカバリー号船内のジョギングのようす、無重力の作業のようす、光の洪水、などなど、いったいどうやって撮影したのか、興味は尽きない。時代が下り、いろいろ種明かしがなされ、ようやく納得できるシーンも多い。
宇宙ステーション5、アリエス1B型月シャトル、ロケット・バス、ディスカバリー号、スペースポッド、各宇宙船の機器パネル、宇宙服など、今見ても不思議でない作りだ。
フロイド博士が宇宙ステーション5の中に入るゲートで、音声識別の際、六か国語のボタンが映るが、英語、オランダ語、ロシア語、フランス語、イタリア語に並び、日本語があるのも見逃せない。
ストーリー以上に、映像の美しさやしかけを楽しむ映画であろう。宇宙に向けた夢や希望、神秘、期待、不安、信頼と不信、……さまざなな要素をもって、観客を未知の世界に誘ってくれるのだ。
ヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』などクラシック曲が豊富に使われ、セリフを最小限にした映像世界を、うまく演出している。選曲の妙も、この映画の特徴だ。
本来、こういう映画こそ、スクリーンで観る作品だ。公開当時に戻って、スクリーンで観てみたいものだ。
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