映画 『メトロポリス』

監督:フリッツ・ラング、原作・脚本:テア・フォン・ハルボウ、撮影:カール・フロイント、ギュンター・リッタウ、美術:オットー・フンテ、エリック・ケテルフート、カール・フォルブレヒト、音楽:ゴットフリート・フッペルツ、主演:グスタフ・フレーリッヒ、ブリギッテ・ヘルム、モノクロ・無声映画、ドイツ映画、1926年(大正15年)製作、1927年公開、104分、原題:Metropolis


テア・フォン・ハルボウはフリッツ・ラングの妻である。

数年前、この映画のポスターが高値で落札された。久しぶりに観てみた。


同じくサイレント映画である、前年1925年に製作されたセルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』と並び、無声映画の双璧をなす作品だ。

『戦艦ポチョムキン』は、撮影のしかた、編集・演出などに革新的なものが多く、その後の映画製作に影響を与えたが、同様に、『メトロポリス』はSF映画として、その美術、特に創造物、背景、映像編集、さらにスケールの大きさで、後世に影響を及ぼした。

内容的には、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936年)にも影響を及ぼしているとされる。


製作当時の理由から、何種類かの長さのものがある。

サイレントなので、ところどころ文字が現れるくらいで、ピアノの独奏が終始流れる。モダンジャズ風なピアノだ。

ラング夫妻がヒントを得たのは、ニューヨークという都市であった。

近未来の大都市は、高層ビルが林立し、高速道路も走り、セスナ機まで街の上空を飛んでいる。


無数の労働者は資本家によって働かされている。資本家は、地上の高いビルの上で優雅な暮らしをしており、まさに地上の楽園だ。

機械工場は地下にあり、労働者はみな、そこで働き、さらにその地下深くに住んでおり、そこは労働者の街となっている。

地上では、フレーダー・フレーダーセン(セングスタフ・フレーリッヒ)が女と戯れている、そこには噴水があり花があり、孔雀やフラミンゴまで歩いている。

そこに、一人の女と大勢の子供たちが上がってくる。マリア(ブリギッテ・ヘルム)というその若い女性は、労働者の娘であり、この子たちは、あなたの兄弟なのですよ、と言って去っていく。

マリアに一目ぼれしたフレーダーは、あるきっかけで初めて地下に下りていく。


そこでジョーは、労働者の過酷な労働を目の当たりにする。

マリアは、ある晩、十字架を背景に、集まった労働者に対し、説法をする。頭脳(資本家)と手(労働者)が理解し合えるためには、心(調停役)が必要だ、と。

この言葉に諭され、労働者たちは反乱を起こそうとする。


一方、禁止していたにもかかわらず、息子が地下に下りたことを知った、父でもある社長ヨハンは、発明家ロトワングを伴って、地下の岩穴から、説法のようすをうかがう。

ヨハンはロトワングに、労働者のかわりに、ロボットの労働者製作を依頼していたが、それをやめ、マリアそっくりの人造人間を作るよう命じる。その人造マリアに、資本家に逆らうべきではないと、労働者たちを洗脳するためであった。

ところが、完成したアンドロイドのマリアは、実はひと晩でできた未完成品だったゆえに、資本家に逆らうべきでないとするどころか、メトロポリスのすべてを破壊するよう、労働者に忠告してしまう。・・・・・・


地下の街中が水浸しになるなか、労働者は自分たちの子供たちまでもが犠牲になることを知り、破壊をやめる。

そのころ、ロトワングに監禁されていたマリアは、フレーダーに助けられる。

労働者代表と父との間に立ったフレーダーは、両者が握手する仲立ちをする。

ということで、ラストはめでたしめでたしで終わる。


あらすじはおよそ上に書いたとおりであるが、この映画はやはり、映像への執着を観るものだろう。

近未来のメトロポリスの作り・撮り方、労働者たち群衆の歩行や姿勢への演出、照明の種類や使い方などのほか、社長のへややデスク回り、机上の小物類まで、勉強になるものも多い。

特に、ロトワングがロボットのマリアを作るシーンは圧巻で、かなり時間を割いて描写している。つまり、監督としては、ここはどうしても割愛カットを最小限にしたかったに違いない。


撮り方は、一部でカメラが横にパンするシーンがあるくらいで、あとは固定で動かないショットの積み重ねである。いわゆるモンタージュ方式だ。


何しろ92年前の映画でもあり、映像も傷んでいるが、それでも最新の技術で修復されているのだろう。

SFの古典として、改めて観てみてもいいかもしれない。


その後のあらゆるジャンルのSF作品は、この映画の影響を受けているといっていい。

『AKIRA』(1988年)にしても、その大元をたどると、この映画に突き当たるのだ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。