監督:ピーター・ウィアー、脚本:ウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス、撮影:ジョン・シール、編集:トム・ノーブル、音楽:モーリス・ジャール、主演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、1985年、113分、原題:Witness
音楽は、『アラビアのロレンス』(1962年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年)、『インドへの道』(1984年)などで知られるモーリス・ジャールが担当している。
観終わってからの気分を快適にさせてくれる一本だ。
1984年、アメリカ・ペンシルバニア州の郊外。そこに、アーミッシュと呼ばれる人々が住んでいて、彼らはドイツ語で話し、独自の宗教観によって、敬虔な規律正しい生活を送っている。日常の外出着が黒装束に黒い帽子というのはたしかに異様だ。
ある男の葬式のシーンから始まり、その妻レイチェル(ケリー・マクギリス)のまわりに弔い客が集まる。
数日後、姉宅に向かうためレイチェルは一人息子サミュエル(ルーカス・ハース)を連れ、列車で都会に向かう。乗換駅で3時間待つはめとなり、サミュエルは広い駅のなかを歩きまわる。そしてトイレに行くが、そこで恐ろしい殺人を目撃してしまう。
通報でかけつけた刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)は同僚と母子を車に乗せ、サミュエルの目撃を手がかりに、大柄の黒人を探しに町へと向かう。ブックはレイチェルとサミュエルを、自分の姉の家に泊める。・・・・・・
ブックを軸に、殺人事件とレイチェルとの話が展開し、さらにレイチェルを軸に、アーミッシュの村人たちとの関係に話が展開する。節度を保ちつつゆっくりと進む脚本がわかりやすく、バランスのとれた話の広げかたがうまい。
会話と、映像だけで語らせる部分とを、明確に区別した演出もうまいし、モーリス・ジャールの音楽も効果的だ。
サミュエルが警察署内で、犯人の顔を見てブックに知らせるシーンもうまい。
犯人探しについては、もったいをつけず、すぐに犯人とその一味を明かし、進行が単純で、犯人探しがメインのテーマでないことはわかる。
サスペンスとアーミッシュの人々の習俗をうまく織りなし、都会とアーミッシュの住む農村の自給自足の生活との対比に、レイチェルを思う青年ダニエルもからませるなど、じっくりと誠実な展開をみせるストーリーには好感をもてる。
ブックがレイチェルの家に来てからは、レイチェルの家での出来事に比重が移るが、アーミッシュの日常生活、労働、規律、価値観などがわかりやすく描写され、メインのテーマはこちらに置かれていることがわかる。
レイチェルに心を寄せるダニエルは、ブックの存在が気になるが、醜いやりとりなどはしない。
村人全員が女子供総出で、大きな小屋を一日で作る一連のシーンは感動的だ。ここはストーリーの本筋とは関連しないが、この小屋づくりのシーンが挟まれたことで、ドラマ全体が更に厚みを増している。
プロの脚本とはこういう有効なエピソードをうまく入れられるかどうかだ。
一人のストレンジャーがある社会に入り込み、初めは白い目で見られたりするものの、やがて打ち解け、そこのしきたりに馴染み、協力するようになり、その社会の一員になったころ、またそこから去っていく。アメリカ・ウェスタンの基本線を当てはめたような映画である。
この映画は、脚本作成のこうした基本に則(のっと)っているだけに、観客が安心して観ていられる強みがある。
冒頭近く列車からサミュエルが見る窓外の景色、農業で生計を立てるアーミッシュの村の自然など、美しい風景が充分にストーリーに溶け込んでいる。
刑事ものとはいえ、一定の節度を保ち、実直に仕上がった心温まる人間ドラマだ。
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