監督・脚本:クレイグ・ゾベル、原案:マイケル・マーコウィッツ、撮影:アダム・ストーン、編集:ジェーン・リッツォ、音楽:Heather McIntosh、主演:アン・ダウド、ドリーマ・ウォーカー、2012年、90分、原題:Compliance
アメリカの某所郊外にあるハンバーガーショップ、慌ただしい金曜の日中、ダニエルズと名乗る警察官から一本の電話がかかる。
応対した女性店長のサンドラ(アン・ダウド)は 話を聞いて驚く。ダニエルズによれば、レジ担当のベッキー( ドリーマ・ウォーカー)が、客の財布から現金を盗み、被害者が犯人を押さえてくれと頼んできた、というのだ。
ダニエルズの指示どおり、サンドラはベッキーを呼ぶ。ダニエルズはベッキーにも電話を替わってもらう。ベッキーは寝耳に水の話で、容疑を強く否定するが、電話の主は自分の代理で、サンドラにベッキーの服装検査をしてもらうという。・・・・・・
ニセ警察官による、悪質なイタズラ電話で、それを信じた人々が、警察という権威の元、そのとおりに翻弄されてしまう、というストーリーだ。
被害者の若い女の子は、無実であるにもかかわらず、店長から裸にされ身体の検査を受けることになる。
2004年にアメリカで実際に起きた事件を元に、作られている。
映画として、いいところに目を付けた。やはり、犯罪は映画製作の格好の材料だ。
ラストには、サンドラがTVインタビューに応じるシーンまであり、ドキュメンタリー風に終わっている。
観ている側も、事前の情報がなければ、途中までは、本当に警察からの電話なのだろうと、信じてしまう。ましてや、こういう現場にいれば、なおさらそうなるのかもしれない。
従業員のうちひとりが疑いだし、サンドラの友人が登場するに当たり、これがはっきりとニセ電話とわかる。
犯人は、プリペイドを使って電話していた。
日本では、警察が電話で何かを依頼したり、自分らのかわりを頼んだりすることはありえず、同じ女性の店長だからといって、女性を裸にして身体検査をさせるなどということはありえない。
もろもろの令状が必要であり、通常はすべて警察署に入ってからのことである。
ただ、オレオレ詐欺など、電話一本での類似犯罪は、枚挙にいとまがないのも事実だ。
テーマとして興味深いものがあるが、映画としてはどうだろう。
時間も一時間半で充分だと思うし、冒頭から、サンドラが仕切る毎日のミーティングあたりまでは、風景から切り取ってきてはいるが、無機質なカットを音楽とともに出していくあたり、うまく引き込むことに成功していると思う。
ベッキーの置かれたへやが主な舞台となっているが、それを単調にしないような脚本やカメラにも、多少のくふうは見られる。
しかし、何か足りない。
途中から姿を現わすのであれば、もっとダニエルズの日常や、なぜこんなことをしているのかを描くべきだった。実際の事件は終わり、訴訟にもなり決着もついている。
ならば、多少脚色してでも、犯人側のキャラクターと目的を、もっと示しておくべきだった。どんなヤツなのか?…観るほうは、そこに興味がある。
幼い自分の娘とのじゃれ合いのような会話だけでは物足りない。
サンドラは中年女性であり、ファストフード店の責任者でもあり、従業員を差配するようすや、もうすぐフィアンセと結婚するというところまで話に出てくる。映画のなかでは主役であるが、事件を引き起こし、さらに途中から姿を現わすのであれば、ダニエルズについても同様な比重で描写するべきだった。
ベッキーは、無実の罪で、一方的に身体検査まで行われ、途中から裸にされて、屈辱的なチェックまで受ける。これもまた被害者という立場では、唯一の主役であり、カメラをもっと使うべきだった。
初めのうちは、信じられないことを言われ、かなり憤慨して否定しまくるが、全裸にされ尻をたたかれるあたりからは、演出がほとんど効いておらず、放置されてしまったかのようである。
彼女については、キャラクターよりは、恥ずかしい思いをしている姿なり表情なり、叩かれた尻が赤く腫れ上がったり、といった描写を重ねることで、映像効果はかなり増すはずだ。
不名誉や羞恥心、屈辱感は、まさにカメラワークとメークアップだけで撮りうる。演技力があまりなくても大丈夫なはずだ。
電話がニセものであることがわかってから、ある刑事が車で現場に向かうシーンがある。
車に乗り、パトランプをつけ、現場に着く一連の流れから、この男が刑事であるということはわかるが、なぜ、乗車から現場で降りるまでを、長回しの一シーンにしたのかわからない。
こういう映像上の遊びはいただけない。
せっかく題材が興味深いものであり、これこそ最後は正義が勝つことが決まっているのであるから、もっと映画としての遊びがほしかった。そうすれば、エンタメ性ももっと増したはずだ。
犯罪映画にエンタメ性を盛り込めない、というのは、表紙だけで中に何も書いてない本のようなものである。
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