映画 『ウォッチャーズ』

監督:モーガン・J・フリーマン、脚本:ケイティ・L・フェッティング、ジェイク・ゴールドバーガー、フランク・ハンナ、撮影:スティーヴン・カツミアスキー、編集:キース・リーマー、音楽:ピーター・ナシェル、ジャック・リヴゼイ、主演:ミーシャ・バートン、マット・ロング、ジェシカ・ストループ、2009年、95分、原題:Homecoming


監督のモーガン・J・フリーマンは、俳優のモーガン・フリーマンとは別人。


小さな田舎町に、大学1年の終わりに、マイク(マット・ロング)が、恋人エリザベス(ジェシカ・ストループ)を連れて帰ってくる。マイクは、フットボールがすべてというようなこの街で、クオーターバックとしてスター扱いされていた。

しかしこの街のしがないドライブイン兼ボーリング場には、かつての恋人シェルビー(ミーシャ・バートン)がいた。彼女は家庭の事情で、マイクとは別れ、マイクとともに大学に進学できず、店もぼろい自宅も差し押さえられる寸前になっていた。


シェルビーはマイクを今でも恋人と思っていたが、店に寄ったマイクにエリザベスを紹介された直後から、エリザベスを恨むようになる。

マイクはそのままエリザベスを両親に紹介しようとしていたが、それを知ったシェルビーは、親しげなふりをしつつエリザベスに強い酒を飲ませ、エリザベスはその夜マイクの両親に会うことをあきらめる。

マイクのいとこのアイデアで、マイクはモーテルにエリザベスをひと晩泊めることにし送ってきたが、ひとり残されたエリザベスは、この時期帰省客でモーテルが満室であることを知り、しかたなく数キロ離れたモーテルまで、夜道を歩くことになる。


悲しみに打ちひしがれたシェルビーは、泣く泣く車で帰る途中、不注意でエリザベスを轢いてしまう。シェルビーはエリザベスを自宅に連れて帰り、傷の手当をするが、これを絶好の機会と踏んだ彼女は、足まで負傷したエリザベスをそのまま自宅二階に監禁し、知らぬ顔でマイクに近付き、マイクの心を取り戻そうとする。・・・・・・


といったところが導入で、本題はこれより後である。

マイクは、連絡してもなかなか携帯にも出ないエリザベスを、必死に探そうとしないとか、ひとり恋人をモテルの前まで送るが、確実に宿泊できることまで確認せず去っていくとか、突っ込みどころは満載だ。


そもそも、小さな街とはいえ、街中に名が知られているフットボールのスターにしては、容姿も体格もイメージにそぐわず、ミスキャストと言われてもしかたない。

ミーシャ・バートン級の女が、果たしてこんな男に夢中になっていたのか、と不思議に感じられてしまう。まあ、このあたりは、過去の恋人同士だったころのツーショット写真が頻繁に使われて、この不釣り合いな印象を解消しているとも言える。


ミーシャ・バートンは長い金髪で目のくりっとした都会的美人であるが、この田舎町のぼろい飲み屋で、何とか生計を立て、いとしの恋人を長い間待っていたのに裏切られた娘という役柄には、少し違和感がある。

脚本も稚拙で、キャスティングも不充分で、全体にかる~い仕上がりのサスペンスではあるものの、それだけに、現実的にこんなこともありうるだろうという点では、そんなに嫌いな作品ではないのだ。


シェルビーが、おためごかしにエリザネスを看病しながら、実は睡眠薬を投与している。このあたり、といってもほとんど初めからそうなのだが、シェルビーの報復が始まる。

この映画は、このシェルビーのエリザベスに対する報復がテーマなのだ。


特段残忍な手段やシーンがあるわけでもなく、元カノが今カノを監禁したら、いかにもありそうでリアルな責め方なのであるが、ここがまたメリハリをなくしている点でもある。

観ている側は、シェルビーとあまりに一体になりすぎてしまうのだ。

観ている側を、快く裏切ってくれるよう、シェルビーのなすことが、観客の一歩先を行くような展開、あるいは、観客の予想を裏切るような展開がなされていれば、より締まりのある作品となったであろう。


ラストでは、ようやくエリザベスの居所がわかったマイクがシェルビーの家に来て、三者が乱闘になる。たまたま床に落ちてきたシェルビーの宝であるマイク愛用のヘルメットを、エリザベスが拾い上げて、何度もシェルビーの顔を殴りつける。

血まみれになったシェルビーは、ようやく意識が戻り、目を開ける。

借金も多く家も店も取り上げられ、恋人もとられ、すべてがパアになるわけで、みじめな姿である。


本作には、一貫して同じようなメロディーの音楽が流れている。ちょっと哀感を帯びたようなサスペンスチックなメロディは功を奏している。

監禁モノとして有名な『ミザリー』と比較すれば、すべてにおいてこちらが劣っている。ただ、その作品でアカデミー主演女優賞を取った42歳のベテラン、キャシー・ベイツと比較するのは、23歳のミーシャ・バートンが気の毒だ。演技がいいとまでは言えないが、体当たりで演じているのは評価したい。


映画のよしあしは、俳優だけのせいではない。すべての責任は監督にある。

95分の映画でもあり、肩肘張らないサスペンスとして、気軽に楽しめる作品と言えるだろう。

ミーシャ・バートンは、かわいい女を、うまく演じている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。