アニメ映画 『迷宮物語』

監督・脚本:『ラビリンス*ラビリントス』…りんたろう、『走る男』…川尻善昭、『工事中止命令』…大友克洋、原作:眉村卓、音楽:ミッキー吉野、制作:角川春樹、マッドハウス、アルゴス、配給:東宝、この順の三作品からなるオムニバス・アニメ、1987年(劇場公開1989年)、50分。


タイトルロゴにフランス語 Manie-Manie という語が乗っているが、マニとは、偏執・奇癖・狂気の意味という。


ひとつひとつの作品に内容上のつながりはなく、二話・三話は第一話で出てくる少女サチとその飼い猫が見る映画という流れで、第一話が、二話・三話を挟むような構成になっている。

しかしこの構成にそれほど意味はなく、三話全体がオープニングとエンディングで出てくる口のなかの物語世界になっている。


『ラビリンス*ラビリントス』

少女サチのイマジネーション世界を描く。ストーリー性はほとんどない。

サチは飼い猫とかくれんぼをするうち、見知らぬ世界に足を踏み入れる。そこはまさにラビリンス(labyrinth、迷宮)であり、サーカス小屋のなかに入ったようでもあり、ピエロも登場するが、狭い路地のシーンでは、幾通りもの異形と遭遇する。

サチは台所の流しの下にいたかと思えが、猫とかくれんぼするなど神出鬼没に描かれ、その奔放な想像力によっていろいろな世界をさまよい、いろいろな人やものと出会う。

幼い子の見る一種ファンタスチックな夢世界とでもいえるが、きれいなもの一辺倒ではなく、目の付いた触手など薄気味悪いものも出現し、おどけた映像もあり、一筋縄ではいかない描写が連続する。

シーンは常に全体に右に左に動き、その勢いで、サチたちは扉を開け未知の世界に立ち入ってしまうのが自然に見える。


『走る男』

夜のカーレース会場が舞台。選手権でずっと王座を占めている男ザックの物語。ザックを知る記者ボブの姿とモノローグも入る。

今日もレースに出たザックはぐんぐんスピードを上げ、他のマシンがクラッシュして脱落するなか、やはりひとり勝ち抜き、堂々とゴールを通過する。

しかしザックはスピードを緩めることもなく、さらに疾駆しつづける。亡霊のようになったライバルたちの青白いマシンが、ザックの左右を追い抜いていく。

ザックのマシンはついに、前を走るその青白い一台と一体化するが、その瞬間火の玉となって、ザックもろとも粉々に砕け散る。


『工事中止命令』

部長の命令で、杉岡は、熱帯にあるアロワナ共和国の奥地で進む都市開発計画を中止するため、ボートで先を急いでいた。

社運をかけたプロジェクトで、すべてはロボットによって自動的に工事が行われていた。しかし現地で政変があり、この大工事は中止になったのだ。

杉岡が現地に着くと、ひとつの人型ロボットが案内してくれた。翌日から杉岡は視察に出るが、案内してくれたロボット(杉岡はデクロボットと言っている、木偶の坊からきているのだろう。)はインプットされたとおりにしか動かない。

やがて杉岡は、このデクロボットを破壊する。



三作品とも、27年近く前のものとも思えない。

それは描写力であり、それによってもつ絵のうったえかける力だ。

大友作品は、地下通路やビル群など『童夢』や『AKIRA』に通じる絵世界が見られる。ちょうどその時期の作品でもあるので自然とそうなるのだろう。杉岡の顔も、鉄雄がメガネをかけたような感じだ。話に皮肉も込められている。

一作目はひたすらイメージ世界が現れ続けるという点で、それほどおもしろみはないのだが、細やかな作画はプロの味わいと思う。


最も印象的なのは第二作『走る男』だ。

ザックはレーサーとは言えぬような恐ろしい風貌をしており、最後には鼻や耳から血を噴き出す。

この風貌やマシンの破壊シーンは見どころで、コックピットの計器類が少しずつ破壊され、ザックの顔から血が噴き出し、目は充血し白目に変わり、やがて炎のついたままの破片が四方八方に飛び散るシーンなど、ほとんど神業だ。

夜空の下、レース会場の全景やマシンが動くようすがすばらしい。多くのライトの煌めくようすも美しい。作画の何と繊細なことよ!

しかし言わんとすることは、すこぶる硬派である。


全編で50分ほどの作品であり、あなたも狂気のような迷宮を旅してみてはいいかが・・・?


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。