映画 『穴』

監督:ジャック・ベッケル、脚本:ジャック・ベッケル、ジョゼ・ジョバンニ、ジャン・オーレル、原作:ジョゼ・ジョバンニ、撮影:ギスラン・クロッケ、美術:リノ・モンデリニ、音楽:フィリップ・アルチュイス、主演:マーク・ミシェル、ジャン=ケロディ、フィリップ・ルロワ、ミシェル・コンスタンタン、フランス映画、1960年、132分、モノクロ、原題:Le Trou


1947年、パリのサンテ刑務所で実際に起きた脱獄事件を元にしている。

実行犯の一人であるジョゼ・ジョヴァンニが1958年に発表した小説を原作とし、脚本のひとりとなっている。

ジョヴァンニは、死刑判決を受け、服役中、何度も脱獄を試みたが、失敗に終わり、結局、ジョヴァンニの父の尽力で特赦で釈放となっている。その後、小説家・脚本家・映画監督として活躍した。

映画の冒頭に、ジョヴァンニ自身が登場する。マニュは、ジョヴァンニ自身を表している。

ロラン役のジャン・ケロディも、この事件の脱獄囚である。

監督のベッケル自身にとっては、遺作となった。


刑務所内の建物を改築する間、そこの房にいたガスパール(マーク・ミシェル)が、マニュ(フィリップ・ルロワ)ら四人のいる房に移ってくる。

四人ともガスパールより年上だったが、同じ境遇の者として快く迎え入れる。

ガスパールは、差入れとして届いたジャムなどを皆にふるまい、四人は不信感をなくしていく。

四人は重罪で、ガスパールも、妻に対する殺人未遂で、長い懲役を免れそうもなかった。ある日ガスパールは、四人が、定期的な監視の目をくぐって、脱獄を図っていることを知る。意志を問われたガスパールも、脱獄に同意する。・・・・・・


『ショーシャンクの空に』(1994年)も脱獄を企てる話であるが、この映画は、脱獄の手段とプロセスそのものを中心に据えた映画である。『ショーシャンク…』のように、囚人同士のコミュニケーションやら人間関係などには、ほとんど触れない。

『暴走機関車』(1985年)も脱獄の映画であるが、むしろ、脱獄したあとの無人機関車での人間模様がテーマである。『手錠のまゝの脱獄』(1958年)も、手錠でつながれたまま脱獄したあとの二人の人間のドラマであった。

これら脱獄をテーマとした作品は多い。脱獄自体にスリルを伴うからだ。


この映画は、脱獄前後の話は全くない。脱獄そのものの手段とプロセスにのみ重点を置いた稀有な作品である。

いかにして単調でない作品に仕上げるか、作る側は考えたに違いない。

しかしそれは杞憂に終わっている。なぜなら、これほど観ていて、力の入る作品はないからだ。最後は、脱獄させてあげてもいいんじゃないか、と思わせるほどの力作だ。


たいして期待しないで観たのだが、脱獄というだけのテーマで二時間の映画にした監督は、評判どおりの実力者というしかない。ふつうなら、90分でももたないところだろう。


モノクロのよさを使っているところは、当時の映画であればよくあることだ。二人の人間が、脱獄用の地下通路を先へ先へと歩いていくとき、遠ざかっていくところにだけライトを当てているので、周りは暗くなり、その逃げ道の長さが強調される。フレームを九等分したとするなら、歩いていく二人は、その中央の四角の中だけにいるような感じである。

歯ブラシの柄に、ガラスの破片を付けて看守の覗き窓からわからないように突き出して、廊下の左右のようすを見たり、時間経過を計るために、小さな瓶二つと吸殻の砂をこっそり取ってきて、砂時計にしてみたりと、現実に刑務所にいた人間が原作者であるからこそ描けたシーンだ。この映画のほとんどは、実際に刑務所にいた人間だから知っているような描写も多い。


ただ、この映画のよさは他にある。

ロクな道具もないので、一台しかないベッドの足の金具をはずして、その金具一本でコンクリートの床を割るのである。常識では考えられないようなことを、実際におこなうのだ。なにしろ、気の遠くなるような作業なのだが、実際に繰り返し繰り返し、その床を打っているうちに、少しずつコンクリートが欠けていく。

驚いたのは、ふつうなら続けて、開いた穴へ下りていくシーンがさっとつながるのだろうが、そうではないのだ。ほとんど延々とコンクリートを穿(うが)つ作業が撮られていく。まさにリアルタイムでの進行だ。


房に戻ってくれば、また元通りに修復しなければならない。取り除いた土やコンクリの破片を元の穴に戻し、最初にはずした床板を几帳面に元に戻し、その上に、作業用として渡された山積みのダンボールの束を置く。

まさに、そこにいる脱獄囚になったかのように、計画を立て、蟻が象に向かうような作業が根気強く続く。それを撮っているのだ。


これをしている俳優たちは、本当に手にマメができたのではないか、と思うほどである。

ガスパールの妻が訴えを取り下げたことで、彼自身は釈放される可能性がでてきた。所長に呼ばれてその話を聞いたとき、他に何を話してしまったのか・・・結局、四人は脱獄できず、廊下でパンツ一丁にされてしまう。

終わりは後味が悪く感じる。犯罪者が脱獄をできないで終わるのは、スジとして正しいのだが、この映画のラストとしては、どこかガスパールの裏切りを許せないような感覚になってしまう。


この映画で、映画に目覚めた人も多いと聞く。観て納得の映画だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。