監督・脚本:園子温、原作:古谷実、撮影:谷川創平、編集:伊藤潤一、音楽:原田智英、主演:染谷将太、二階堂ふみ、2011年、129分。
古谷実原作漫画の映画化。原作は読んでいない。
東北の震災後の設定としているため、周辺の人物の設定はかなり変わっている。
住田祐一(染谷将太)と茶沢景子(二階堂ふみ)は、同じクラスの中学生。
住田は、モグラの一種、ヒミズ(日不見)のように、周囲の日常や考え方に目を向けず、内省的な性格の持ち主。それでも生活のため、父親の貸しボート屋を継いで、近くにテント住まいする住人に励まされながら、河原の粗末な家に住んでいる。
そうなった理由には、両親の離婚や粗暴な父親、借金取りの暴力などがある。
茶沢は、そんな住田の理解者たらんとし、学校をさぼって住田の店を手伝うことになる。・・・・・・
いわゆる園子温ワールド全開の作品だ。
主演以外の出演俳優も、『冷たい熱帯魚』(2011年)とほとんど同じである。
震災で破壊され尽くした街、それはもはや廃墟であるが、その廃墟のカットが冒頭はじめところどころに使われる。不謹慎な気もするが、映像として効果を狙ったものだろう。
毎晩のように金を無心にくるだらしのない父親が、祐一の顔を両手で撫でながら、いわば愛情の表現をしながら、「津波が来たとき、助からなければ保険が下りたのに」「オマエには本当に死んでほしいと思っている」などという。
茶沢の母親は、自宅に首つりの場所を作りながら、娘の幸せを願うように泣きじゃくりながら「景子には死んでもらいたいのに」などと言う。
愛情表現のさなかに、真逆のこと、不道徳にしてありえないセリフを吐かせるのは、園特有の演出かもしれない。原作も同じなのであろうか。
相変わらず雨のシーンが多い。泥だらけのシーンや蝋燭を使うところも、小道具としていつも同じである。『冷たい熱帯魚』での血まみれが泥まみれになり、変態を演出した蝋燭は、この映画では、二人の将来を誓い合う聖なる時間をともすものに変わっている。
出だしは退屈だが、観ているうちに、二人の心の奥に観る者を引きずり込む手腕は相変わらずたいしたものだと思う。
もともと、やや変態的な映画を撮る監督なので、好き嫌いは初めから分かれるだろう。
ただ、この監督は本当に、自分の思う通りに、自分の映像を撮る監督だとは思う。
後半、何ヵ所かに出てくるおかしな連中は見ものだ。
殺されねばならないヤツを殺すべく、簡素な袋に包丁一本を忍ばせて街を彷徨う住田の心理と、うまく掛け合っている。
住田が父親を殺すシーンは、クレーンを使った長回しであるが、その他はほとんど手持ちカメラで、多少疲れる。
これも、監督ならではの演出のなせるわざと思うしかない。
全編通じて流れるクラシカルな音楽もよかった。
染谷将太も二階堂ふみも名前しか知らなかったが、二人とも二十歳前後にしては、しっかり演技ができている。
こういう内容の映画であるからこそ、顔のアップシーンも多く、語るシーンも多い。
特に二階堂ふみの演技がよい。
ここではチョイ役でしか出ないが、吉高由里子などは、所属事務所が強いだけで、たいした女優ではない。
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