映画 『偽りなき者』

監督:トマス・ヴィンターベア、脚本:トマス・ヴィンターベア、トビアス・リンホルム(デンマーク語版)、撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン、編集:アンネ・オーステルード、ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン(デンマーク語版)、音楽:ニコライ・イーグルンド(デンマーク語版)、主演:マッツ・ミケルセン、2012年、106分、カラー、デンマーク映画、原題:JAGTEN/THE HUNT(狩り)


中年でひとり身のルーカス(マッツ・ミケルセン)は、幼稚園の教師をしていた。

ある日、幼稚園児のひとりクララが、道に迷ったといって立ち尽くしていたので、話をしながら送って帰る。クララはルーカスの親友テオの娘でもあった。

次の日、クララは、母親が迎えにくるのをひとりで待っていた。その間、園長がクララと話していると、クララは問わず語りに、ルーカスから性的ないたずらを受けたと告げる。


ルーカスには、別れた妻と住む息子マルクスがおり、ようやく息子が遠くから会いに来られるという矢先に、マルクスから電話が入り、お父さんのことで園長から電話があり、今はお父さんのもとを訪ねないほうがいいと言われたから行けない、と言う。ルーカスは初めて、自分の立場がわかるのであった。

身に覚えのないルーカスは、自宅待機とされたにもかかわらず、園長を訪ね、テオの家にも行くが、みな、クララの言ったことを信じ、ルーカスを変質者の目で見る。

やがて警察にも捕まるが、すぐ釈放される。しかし、周囲のまなざしは一向に変わらない。・・・・・・


無実の罪を背負わされた男が、周囲から白い目で見られ、職も失いながら、いかにして自らへの疑念を晴らしていくか、……これに似たテーマの映画はたくさんあるが、幼女の口から出た言葉が、ひとりの男に災いをもたらしたのであり、大きな政治的陰謀などの渦に巻き込まれたわけでもない。


デンマークのいなかの小さな村を舞台にしており、冒頭は、ルーカスら男友達が、11月の冷たい湖へ、裸になって飛び込むという悪ふざけをしているシーンであり、音楽もアップテンポですこぶる明るい。

「事件」が起きてからは、そこにいた友達のほとんどが敵となってしまうのだ。それだけに、冒頭部分との落差により、ドラマは一挙にシリアスな雰囲気を帯びる。


多くの園児らが、ルーカスにイタズラされたというものの、すべて作り話であったためか、警察からはすぐに釈放される。だが、ルーカスは相変わらず、周囲から蔑(さげす)みの目で見られ、息子と晩御飯を作っているときも、何者かに石を投げられキッチンの窓が割られる。

外に出ると、愛犬が殺されてシートにくるまって置かれている。スーパーマーケットでは、ルーカス親子には来ないでくれと言われる。


12月になり、クリスマスイヴを迎え教会に出向くと、テオ夫婦もおり、聖歌隊にはクララの姿もあった。そこでルーカスは、我慢し切れず、テオに初めて、自己主張し、テオを殴りつける。

親友であったテオは、自宅でのパーティを抜け出し、ルーカスの家に食べ物とワインを届けにいく。

やがて、友人宅で迎えた新年の宴には、大勢の人が集まり、ルーカス親子もその中にいて、ルーカスへの疑いが晴らされていたことがわかる。


マルクスに、猟銃携帯の許可が出て、その意味で、少年は大人になったと祝福される。

ルーカスとマルクスは、森の中へ鹿狩りに出る。鹿を見定めていたルーカスを、何者かが撃つ。ルーカスには当たらなかったが、この意外なシーンがラストとなる。


森や田園風景などを合間に挟み、音楽も最小限に抑え、全編シリアスであり誠実なつくりとなっている。

どうやって潔白を証明するかという前に、この映画のよいところは、どうやってひとりの無実の人間が、日常生活の人間関係のなかで、「有罪」とされるかというプロセスを丁寧に描いている点だ。

蔑みを受けている間の姿も、痛々しく描かれている。


きのうまで仲良くしていた近隣の住人や仲間たちからさえも白い目で見られ、職場も解雇され、仲のよい女性からも一度は逃げられてしまう。

孤独のなかで、息子と愛犬しか信用してくれなくなったとき、今度は、どうやって、無実を証明するために「反撃」に出るか、に重点が移る。


クララの父親が親友テオであったという点は、脚本上の救いであり、テオもクララから、「事件」の発端は作り話であったことをほのめかされている。

誤解が解けて新年を迎え、みんなが新たな気分を迎えたあとも、ルーカスが猟銃で狙われていることからしても、噂が独り歩きし、不気味な予感を漂わせている。いわゆるバッドエンドであり、必ずしも「すべて」が解決したわけではないのだ。噂はまだ生き続けているという暗示だ。


観る側は、知らず知らず、ルーカスに身の上を重ねてしまう。

一歩一歩歩くような展開であり、カメラもクレーンなど使わず、ふつうの人間の目の高さから撮ることに終始している。ハンディと固定の使い分けも徹底している。

珍しく邦題もよかった。


原題の「狩り」は、映画中の鹿狩りをさすのだろうが、魔女狩りを暗示しているようにも思える。

本作はカンヌ国際映画祭で主演男優賞などを受賞している。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。