映画 『鳥』

監督:アルフレッド・ヒッチコック、原作:ダフネ・デュ・モーリア、脚本:エヴァン・ハンター、撮影:ロバート・バークス、編集:ジョージ・トマシーニ、音響コンサルタント:バーナード・ハーマン、電子音制作:レミ・ガスマン&オスカー・サラ、主演:ティッピ・ヘドレン、ロッド・テイラー、1963年、119分、原題:The Birds


ヒッチコックの映画は、あらすじを書いてもおもしろくないし、書いたところでネタバレにもならない。彼の映画こそ、観て楽しむものだからだ。サスペンスなのにエンタメ性が、しっかり盛られている。

だから、ストーリーだけを理詰めで追うと、どうしても突っ込みどころが出てくるが、メチャクチャに脱線しているわけではない。


この映画も、終盤、鳥の大群が襲うことを予想して、ミッチは家じゅうの窓を板で覆ったりするが、なぜその日に大群が来ると予想できるのか、など何も語られない。そして、まさにそこに大群が襲ってくるのであり、からくもそこから脱出するのだ。

動物を使ったサスペンスの先駆的作品だが、ここには猛禽類の鷹や鷲が出てくるのではない。アナコンダやサメが出てくるのでもない。

ふだん、日常的に身近に見るスズメやカモメ、カラスがもう一方の主役である。


舞台はボデガ・ベイという湖の町であるから、カモメも身近な鳥である。実際、メラニーが最初に襲われたときも、誰も信用しない。途中で鳥類学者を自称する婦人も、鳥についてひとくさりご託を述べるが、実際にカモメが襲来したのを目の当たりにすると、押し黙ってしまう。


その後、サメやアナコンダは何度となく映画化されたが、身近な鳥をテーマにしたものはほとんどない。この作品が、ほとんど最初で最後である。

というのも、鳥は犬や猫と違って調教が難しく、撮影も思うようにいかない。赤ん坊の撮影もうまくいかず時間もかかるのに、複数の鳥では厄介至極なのである。


実際、ヒッチコックは、鳥の調教師を頼んでいるし、たくさんのカラスが映るシーンでは、本物の鳥の中にフェイクの鳥を置いている。ジャングルジムのカラスや屋根のカモメなどがそうで、特にラストシーンはフェイクが多い。よく観ていると、動かない鳥がいるのだが、それがわからないようにカットを早くしてつなげている。

ストーリーは二番煎じのサスペンスとも言われるが、しかしストーリーがなければ映画にならない。そこがぎりぎりホラーと一線を画すところだろう。


ヒッチコック作品のなかでは、これは念入りにストーリーが書き込まれているほうだ。ミッチ(ロッド・テイラー)とメラニー(ティッピ・ヘドレン)、ミッチの母で神経質なリディア(ジェシカ・タンディ)とメラニー、ミッチの元彼女で学校の教師をしているアニー(スザンヌ・プレシェット)とミッチ、アニーとメラニー、それらの過去の関係や今の心境までもが、端的ではあるがきちんと語られている。そういう合間に、鳥の襲撃を予感させるような出来事が起きていく。


大量のカラスが校庭のジャングルジムに集まっているのを見たメラニーは、授業終了直後のアニーに、子供たちを避難させるよう勧める。

ミッチの娘キャシー(ヴェロニカ・カートライト)を含む子供たちが、アニーとメラニーの指示で、学校を出て町へ駈けていくときは、この映画のハイライトのひとつだろう。


カラスがギャーギャー言いながら、子供たちを襲撃するシーンだ。実際は怖いシーンなのだが、ヒッチコックもこんなことして喜んでいるんだなと思うと、おかしくなってくる。

何度か目に気付いたのだが、このシーンは、三種類のフィルムが重なっている。

子供たちをバタバタと襲うカラスの大群と、必死に逃げる子供たちとが、別々に撮られて重ねられたのは初めから見破れた。実は、その子供たちも二種類のフィルムを撮って、あとで重ねているのだ。

ふつうに逃げる子供たちと、より手前で、実際のカラスやフェイクのカラスに襲われている子供たちとは別撮りである。

もし現在なら、もっと境をわからなくできるはずで、当時の技術ではこれが精一杯だったのだろう。


現場での撮影と、それに全く似せたスタジオセットでの撮影を、こまめにカットでつなぎ合わせていくのはいつもの手で、この映画でも全編ほとんどこの手法でできている。湖の上空の雲も、ペイントして作った絵を、そこに重ねているが、スタジオで撮影するとなると、そういうこともできるわけだ。


理由もわからず、鳥が人間を襲う…この映画を観て、カラスや鳩にトラウマができた人も多いらしい。

鳥の襲撃シーンにしても、一切の音楽を排して、鳥の羽音や啼き声、子供の悲鳴などだけにしたのは正解であった。音楽は、むやみに入れればいいというものではない。この映画には、音楽が入っていない。


ヒッチコック作品には、サスペンスでありながら、『裏窓』(1954年)のように恋物語と並行して進むストーリーと、この作品や『サイコ』(1960年)のように、もっぱらラブストーリーなしで進んでいくものと、二通りある。

好みは別れるだろうが、いずれにしても、筋書きだけでカットを掻き集めるようなことをせず、映画は楽しい、という土台の上に立って、サスペンスの世界を提供してくれている。


この映画でもバーナード・ハーマンはサウンドを担当しているが、音楽は一切ない。カラスやカモメの啼き声のほとんどが電子音であり、そのサウンドコンサルタントをしている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。