映画 『フローズン』

監督・脚本:アダム・グリーン、製作:ピーター・ブロック、コリー・ニール、撮影:ウィル・バラット、編集:エド・マルクス、音楽:アンディ・ガーフィールド、主演:エマ・ベル、ショーン・アシュモア、ケヴィン・ゼガーズ、2010年、93分、原題:Frozen


宣伝用のキャッチフレーズは「もうスキー場には行けない」。

派手ではないのに、痛いシーン、グロいシーンが効果的に現れる。


ピーター・ブロックは『ソウ』シリーズの製作総指揮をしていた人物。

これも、いわゆるソリッド・シチュエーション・スリラーだろう。

スキー場のリフトが突然止まり、そこに残された若い男二人と女の子ひとりの脱出ストーリー。


ダン(ケヴィン・ゼガーズ)と友人ジョー(ショーン・アシュモア)、ダンのガールフレンド、パーカー(エマ・ベル)は、スキー場に来ていた。

カネの持ち合わせが足りないダンは、パーカーのお色気作戦で係員に頼み込み、ようやくリフトに乗ることができた。

一度リフトで上り、滑り降りてくるが、営業時間も終わるところで、無理に係員に頼み、彼ら3人だけがリフトに乗る。

だいぶ行ったところでいきなりリフトが止まり、故障かと思ったが、いつまでも全く動かず、空中に取り残されたままとなる。


やがて、ゲレンデ全体の電気も消え、あたりは真っ暗になり、吹雪いてくる。下の乗り場で、ちょっとした行き違いから、係員は、ゲレンデにはもう誰もいないと思い、すべての電源を切ってしまったのだ。

取り残されたと悟った三人は、どうやってここから脱出するか、思いをめぐらす。・・・・・・


さすがにネタバレは避けたいが、結果として、パーカーだけが生き残るとだけは言っていいと思う。

この手の映画は、近年のはやりだ。


ひと月ごとに、手を変え品を変えて、新作が登場する。少し前、『ATM』(2012年)という映画を観たが、おもしろいとは思えない。『ソウ』(2004年)はたまたま第一作だけ見たことがあるのだが、別にどうということもなく退屈だった。『パラノーマル・アクティヴィティ』(2007年)も一作めだけ観たが、やはり、何コレ?で終わりだ。どれもこれも、とても映画とは言えない。

もともと90分前後というのはホラーの尺で、気味悪い物を見られればいいということだが、固定状況ものサスペンスは、それよりさらにつまらない。


エンタメ性もなくカメラも限界があり、おもしろみがない。『CUBE』(1997年)にしても、発想はおもしろいと思うのだが、それだけであった。

ゲーム好きな人が、ゲーム感覚で観るには、ちょうどいいのかもしれない。実際、興行収入は上がっている。人気の出たものだけ、あとで一応観てみるくらいだ。


ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』(1954年)も、ほとんどひと部屋だけの物語だ。そんな大物に比べたら気の毒かもしれないが、脚本がつまらないのが主因である。ストーリー性、落ち、メリハリ、交互にくる緊迫感と安堵感、……そういう準備も何もなく、ただ、作り手本人たちがおもしろいと思っているだけの映画だ。

この手のワンステージものは、歴史的な要素を削いで、低予算でどんどん作れてしまう。映画としての「花」がない。


この映画も、たいしたことないだろうと思ってきたが、よく聞いた題名なので一応借りた。やはり、若い男女が主役で、誰かが殺されるのだろうと思いつつ観始め、やはり、事故が起きるまでは退屈である。

ただ、途中から、そんなにエグいわけではないが、ホラー的要素が出始める。例のグチョグチョという音も入り、痛いシーンもある。これはよかった。


さらに、すぐ一人が死んでしまうのだ。日常空間でありながら、そこで突然、主役の一人が死んでしまう。これは意外性があって、映画づくりとしては共感する。『13日の金曜日』(1980年)のように、ワケもなく、「誰か」に殺されるのではない。殺されることに合理的理由がある。

何しろ、本当に限られたスペースの話であり、姿勢を変えることもできない状況だ。まさしく固定状況そのもので、どう展開していくのか楽しみだな、と思わせてくれただけ、他のものよりマシであった。


ナイフなどが出てきたり、大声で罵り合ったりするわけではない。多少、責任のなすり合い程度の会話もあるが、それも連続するわけでもないので鼻につかない。

いかにも、日常的なシーンで起きた事故であり、親近感を覚えるのだ。同じ状況ものでも、いかにも作られた空間に、人が呼ばれて、そこで殺人ゲームが展開されるなどと予告が流されても、観たいなと思わない。

この映画は、その点、クリアされていていい。


主演の三人も、知ってる人は知ってる人気のある若手らしく、フレッシュな演技もよかった。

日常の空間を舞台とする『ファイナル・デスティネーション』シリーズ(2000年~2011年)もあったが、あそこまでド派手にしなくても、充分映画は作れる、という証明だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。