映画 『北北西に進路を取れ』

監督:アルフレッド・ヒッチコック、脚本:アーネスト・レーマン、撮影:ロバート・バークス、編集:ジョージ・トマシーニ、音楽:バーナード・ハーマン、主演:ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン、1959年、137分、カラー、原題:North by Northwest


前年の『めまい』(1958年)でオープニングを制作したグラフィックデザイナー、ソール・バスが、オープニングに初めてキネティック・タイポグラフィを使った作品である。

ヒッチコック自身のカメオ出演も、一回目は本編直前に(バスに乗ろうとして扉を閉められてしまう男)済まされている。


広告会社勤務のロジャー・ソーンヒル(ケイリー・グラント)は、ホテルで打ち合わせ中、席を立つとすぐ、見知らぬ男二人に拉致され、車に乗せられる。

到着したのは、広大な敷地をもつ屋敷で、そこに現れた男タウンゼント(ジェームズ・メイソン)は、ロジャーのことを「ジョージ・キャプラン」と決めつけ、いきなりある仕事を依頼する。

人違いであることを主張してもなかなか聞いてくれず、当然のように仕事の依頼を断ると、ロジャーは泥酔させられ殺されそうになるが、一命をとりとめる。


ロジャーは、タウンゼントの行先である国連に出向くが、呼び出しに応じて現れたタウンゼントは別人であり、ロジャーがことの次第を話している最中に、その本物のタウンゼントは背に刃物を投げられ、殺されてしまう。

刃を抜いたロジャーは、周囲から犯人と誤解され、列車で逃走することになる。


列車に乗る時に謎めいた金髪美人になぜかかくまわれるが、あとで偶然食堂車でも会うこととなり、イブ・ケンドール(エヴァ・マリー・セイント)と名乗った。

ロジャーは真相を探りながら、ニューヨーク、シカゴ、サウス・ダコタ州のラシュモア山へと飛び回るが、そのつど身に危険が迫るのであった。・・・・・・


ヒッチコック円熟期の作品は、成立順に、『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『知りすぎていた男』『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』『引き裂かれたカーテン』になるので、『サイコ』をモノクロで撮ったのは意図的だということがわかる。

こう見ても、この映画が、彼の円熟期にできたカラー作品であることに間違いはない。

それだけに、アメリカ国内を飛び回り、カメラワークや小物類も、凝りに凝っている。車はもちろん、寝台列車、複葉のセスナ機など乗り物も出尽くし、それだけに、肝心なストーリーはやや拡散的であるため、一気に収束させてしまうようなところもあり、人物描写も詰め込みすぎの感もある。

それでも、この男ロジャーに感情移入し、次はどうなるのか、と、ハラハラする観客を引っ張っていく力は、他の作品より強い。


タイトルには特に意味もなく、この方向に部隊が進むわけでもなく、誰かがノースウェスト航空に搭乗するシーンが出てくるわけでもない。

単に、響きがよくヒッチコックが気に入ったということらしい。

いつものように金髪美人は出てくるが、このロジャーはヒマ人ではない。むしろ多忙なところを妨害され、何がしかの悪巧みに巻き込まれたのである。


エヴァ・マリー・セイントはグレース・ケリーのような美貌とはいえないが、知的な品があり、こういう情報サスペンスには向いた容姿である。

彼女は、『波止場』でマーロン・ブランドと共演しており、難しい役柄をきちんとこなしていた。『波止場』はモノクロ作品であるだけに、今回は全く別人となっての登場だ。


ヒッチ円熟の作品とはいえ、この映画にはかなりの撮影ミスがある。銃を撃つ前に、子供が耳をふさいでいるというのは有名なのだが、他にも探せばいろいろあるようだ。

どんなに記録係がしっかりしていても、こういうことは起きてしまう。また、それを承知の上で撮ってしまうということもある、太陽の照りぐあいなど、相手が天候の場合はやむをえない。撮影日程もある。極端な場合、わざとそんなことをするときもある。

例えば、マリリン・モンローの『ナイアガラ』で、モンロー扮するローズが夫に殺されるのだが、その死体のショットが、一枚目と二枚目で、全く違うのである。こうなるとミスではない。


この映画、バーナード・ハーマンのスリリングな音楽にも注目しておきたい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。