監督:アルフレッド・ヒッチコック、原作・脚本:フレデリック・ノット、撮影:ロバート・バークス、編集:ルーディ・ファー、音楽:ディミトリ・ティオムキン、主演:レイ・ミランド、グレース・ケリー、1954年、105分、カラー、原題:Dial M for Murder
いわゆる密室のワンステージもので、『裏窓』に似るが、こちらは、その場で殺人が行なわれ、トニー(レイ・ミランド)という知能犯の頭のはたらきと行動を、観客が臨場感をもって見ることとなる。
しかも、トニーにとっては、まさかの展開であり、そこをどう繕うか、さらに今度はどうやって妻を死刑にもっていこうか、と考える。襲われたための正当防衛ではなく、妻を意図的な殺人犯に仕立てていくのだ。
とにかく主役はトニーであり、そのキャラクター描写もきちんとできている。冒頭に、さりげないが、テーブルにある調味料のビンを倒し、すぐ直す。死体のあった場所を覆う毛布が折れていると、きちんと広げる。神経質で几帳面なトニーの一面を現わす演出である。
冒頭からほとんどすぐ本題に入る。殺人計画を話すため、トニーはスワンを自宅に呼ぶ。そこで、否が応でもスワンが引き受けるように脅しながら頼むシーンは約30分もある。
たった一度、初めて会った男に、殺人を依頼し、もう二度と会わない。この完全犯罪は成立しそうであったが、予想外の展開になる。
しかし、トニーは狼狽することもなく、知恵を働かせ続ける。
殺人そのものにテーマが絞られているだけに、マーゴ(グレース・ケリー)とマークの不倫は、ストーリーのなかでは全く問題とされず、むしろ浮気相手のマークのほうが図々しいくらいだ。発端はトニーも言うように、マークがマーゴに近づいたからである。
マーゴが不利な状況に追い詰められていくにしたがい、ドレスの色も、派手な色から地味なものに変わっていく。化粧も徐々にノーメイクに近くなっていく。意図的演出である。
密室劇であるため、カメラは一層、アングルやフレームに気を配っているのがかわる。
さらに、限られた空間を繰り返し映すため、室内にある調度品なども、こぎれいでカラフルなものにしている。
まっ先に気づくのは、デスクにあるランプで、花柄をあしらった黄色のボディが美しい。マーゴのハンドバッグはストーリー上のポイントにもなるが、品のある赤で、何回かアップになる。
ランプやハンドバッグ以外にも、いかにもヒッチコックらしい小物へのこだわりがある。ステッキ、手紙、コート、キー、パイプも、それぞれに小物として意味をもち、その役割を果たすようになっている。
『裏窓』と異なり、男女の恋愛問答はほとんどなく、まさに「不完全殺人」だけのストーリーがテンポよく進み、カメラがくふうを凝らしていることもあり、舞台劇と化しやすい密室ものを、飽きずに最後まで観ることができる。
マーゴが死刑になりかけた直前に、あるきっかけでトニーが真犯人だったことがわかり、マーゴのみならず、観ている側も安堵する。
実は、観ている側は、初めからトニーは犯人とわかっているから、そのトリックが破られることに満足するわけだ。
マーゴの赤いハンドッグがキーになると書いたが、バッグの中にあるマーゴの家のキーそのものが、トリックを見破るキーとなる。
これ以上は書かないほうがいいだろう。
トニーが刑事やマーゴにも見せない真の表情を見せるところが、何箇所かある。
トニーが、スワンと打ち合わせたように、自宅に電話する。無言のままでいると、しばらくしてスワンがマーゴの首を絞めるのだが、そのさいマーゴは暴れて抵抗する。
トニーは、マーゴが地獄の沙汰になっているようすを、物音として、電話の向こうに聞くのである。現実的にはなかなかありえないことだが、このシーンでのトニーの表情は興味深い。
自分が計画しておきながら、妻の悲鳴と物の割れる音などを聞くのである。
もう一つはやはり、予想外の展開となり、急いで帰宅し、警察が来るまでの間、ある小細工をし、それが終わってようやく一服するときだ。そのときの、なんてこった、という表情がまたいい。むしろ笑えるくらいだ。
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