映画 『家族ゲーム』

監督・脚本:森田芳光、原作:本間洋平、撮影:前田米造、編集:川島章正、美術:中澤克巳、照明:矢部一男、録音:小野寺修主演:松田優作、宮川一朗太、伊丹十三、由紀さおり、辻田順一、1983年、106分。配給:ATG。


沼田茂之(宮川一朗太)は、父(伊丹十三)、母(由紀さおり)、兄・慎一(辻田順一)との四人家族で、港に面した高層団地に住んでいる中学三年生。高校受験に向けて成績が上がらず、父は家庭教師を頼むことにする。

沼田家に来たのは、三流大学に七年在籍している吉本(松田優作)という男であった。・・・・・・


森田芳光を有名にした映画であり、伊丹十三がまだ俳優として活躍している。

ATG作品らしいこじんまりとしたつくりとなっているはいる。家族の家はいかにも団地にあるような広さと間取りであり、その大きさがそのままストーリーのサイズとして、功を奏している。


この映画の特徴は、ブラックユーモアなど滑稽なセリフややりとりのおもしろさ・おかしさ・支離滅裂さで、さらには、家族四人が横に並んで食べる長い食卓、ボートに乗って沼田家に来る吉本など、設定もおかしい。

まさにその長いテーブルで、最後には吉本を加え、五人がジュウシマツのように犇(ひしめ)いて食事をとるようすもおかしい。ここは長回しワンシーンで、最後にはカオス状態になってしまう。


当時、ウォシュレットが新製品となったころで、そのCMに出ていた戸川純が、トイレットペーパーをかかえて由紀さおりと挨拶するあたりもおかしい。


受験に向け、茂之の成績は徐々に上がり、みごとに難関校に受かるが、学校でのクラスメイトとのやりとりやいじめ、兄・慎一のエピソードなどにも話が及ぶ。そこを、あまりネチネチ言葉で語らせず、カットをつないでわからせるというのも斬新であった。


森田は自身の映画づくりのスタンスについて、何を描いたのかではなく、どう描いたかが大事だ、と言っているように、受験生をもつ家庭の日常を、その日常からわずかに脱線させてストーリーやシーンを組み合わせ、話や映像、演出が、微妙なバランスをとりながら成り立った作品である。


日本映画には喜劇の歴史もある。その喜劇性は、とっくに消え去ってしまった。笑いが堂々とした明朗なものから、斜(はす)に構えた陰険なものにまで、広がりをもったからだろう。

笑いをテーマとする映画制作に取り組む人々がいることは頼もしいのだが、単純明快にして滑稽な趣をもった作品には、なかなか出会わない。

そういう意味では、この映画や伊丹十三がこの後つくる『お葬式』『マルサの女』などは、一定の評価を受けたが、その後これらに続く作品群はないようだ。


仮に類似の作品があったとしても、観ていて少しも、おもしろくもおかしくもないのである。

映画監督が若くなるにつれ、妙に優等生だったりサラリーマンだったりで、おかしみ・滑稽さ・ユーモアといったものにまで追い付けていないのかもしれない。もちろんそれは、サスペンスなどを作るより、はるかに難題だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。