映画 『渋谷』

監督:西谷真一、原作:藤原新也、脚本:市川豊、撮影:中野英世、美術:石毛朗、音楽:谷口尚久、主演:綾野剛、佐津川愛美、2010年、78分。


水澤(綾野剛)は、渋谷に棲む、カルチャー誌の売れないカメラマン。渋谷の街中にいる女の子の写真を撮り、それを元に記事を書いている。

その雑誌社に求人応募してきた履歴書に、履歴欄など空欄で、写真を貼るところにイラストの貼ってあるものがあった。よく見ると、下のほうに「わたしを、さがして」とある。


一方、街に出ると、駅前交差点付近で、母親らしき女性とケンカをしている女の子に出くわす。二人が去ったあと、そこに落ちていたペンダントを拾った水澤は、女の子を追うと、ある風俗店に入っていった。

このユリカ(佐津川愛美)という子をその日の記事のテーマにしようと、水澤は店内に入り、この子を指名して、へやに入った。・・・・・・


低予算であり、時間は短いが、長く感じられる作品。冗長であるからでなく、わりと内容が濃いので、そう感じるのだろう。


あらすじを書くと上のような感じであり、このような作品は辟易するほどあるのだが、作品ごとの味つけやアプローチに真摯なものがあれば、それはいい映画たりうると思う。


話だけをするにしても、いま会ったばかりの男に、風俗嬢がいきなり深まった話をするわけでもなく、水澤は半ば愛想を尽かされて帰ることになる。

帰って事情を話すと、編集長(石田えり)に注意・激励されて、またすぐに、同じ店に戻り、ユリカを指名する。初めはぎこちなかったが、水澤がいろいろ話の水を向けると、ユリカは問わず語りに、自分の過去や、ここにくるまでの気持ちの移り変わりを話してくれた。

水澤も、初めは仕事のつもりであったが、話すうちに徐々に、自分の生い立ちのことなどを話すようになる。


二度目の出会いはシチュエーションがシチュエーションなだけに、二人の会話のシーンが、長回しも含め大変長い。が、これはやむを得ないものがあり、カットや編集が多くなると、シーンとしての緊迫感や臨場感がなくなる。


ラストは突然やってきる。別れ際は何とも空しい雰囲気となるが、こんな出会いだったがゆえに、こんな別れになるというもので、合点はいく。

二人は別に恋愛をしたわけでもなく、風俗の店内でセックスしたわけでもない。


ユリカを演じた佐津川愛美の演技力がすばらしい。彼女の名前は、前年の『宮城野』(2009年)という作品で知った。取り立ててかわいいというわけでもないが、いかにも庶民的で親しみやすい。こういう内容には向いている。


内容柄、勢い、アップと長回しが多くなるのだが、涙を流しながら心の葛藤を話していくシーンはみごとだ。

綾野剛は、優しさジトジトのこういうフニャけたキャラは、いつもお似合いだが、彼なりにしっかり演じている。


風俗店の受付は、前年に『蛇にピアス』(2008年)に出たARATA、セリフはないが、ユリカの母には、相変わらずブスな松田美由紀、歩道橋で声をかけてきて、ちょっとしたエピソードを生むアクセントシーンに大島優子が出ている。斎藤工は何のために出てきたのかわからない。


タイトルは『渋谷』と大きく出たが、たしかに渋谷の一面は押し出されている。

渋谷だけの雑踏や夜景のカットが挿入され、それに対して、風俗店の狭い個室やシャワールームでの切実でつぶやくような対話は、次元として好対照でありながら、それもまた渋谷という街の片隅での出来事であり、「渋谷という現実」なのである。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。