製作:永田雅一、監督:衣笠貞之助(きぬがさ・ていのすけ)、原作:泉鏡花、脚本:衣笠貞之助、相良準、撮影:渡辺公夫、照明:泉正蔵、美術:下河原知雄、編集:名取功男、音楽:斎藤一郎、主演:市川雷蔵、山本富士子、1960年、113分、カラー、大映。
このころにしては珍しいカラー作品(コダック、イーストマンカラー)。
ちなみに、国産初のカラー映画は、富士フィルムによる『カルメン故郷に帰る』(1951年、松竹)である。
1943年に、監督:成瀬巳喜男、花柳章太郎、山田五十鈴主演で映画化されており、これが二度目の映画化。
明治三十年頃、伊勢・山田、能の観世流家元・恩地源三郎(柳永二郎)を父に持つ喜多八(市川雷蔵)は、すっかり自らの芸にうぬぼれた盲目の謡曲師・宗山の家を訪ね、一曲賜りたいと申し出、宗山は滔々と謡(うたい)を始める。
途中から喜多八は鼓を打ち、宗山に恥辱を味わわせ、去っていく。宗山は恥ずかしさから、庭をさまよい、井戸に身を投げて死ぬ。
喜多八は焼香しに再度宗山宅を訪れ、娘のお袖(山本富士子)と会い、一目惚れする。
宗山に対する喜多八の振舞いを知った源三郎は、喜多八に家元破門を宣告し、今後一切、謡を演じないよう釘をさす。
喜多八は、門付(かどづけ)をしながら、あちこちの町を歩くことになる。
お袖も、宗山亡きあと、後妻に屋敷から追い出され、これも芸妓として、置屋(おきや)を転々とする身の上となる。
月日が流れたある晩、伊勢・桑名の新町をお袖が仲間と歩いていると、男同士が喧嘩しているところに遭遇する。
縄張りを荒らされた地回りが、門付の男を殴っていたのだった。その男は喜多八であった。・・・・・・
後半で、二人が再開したところで、互いに相手を思う気持ちから、お袖にせがまれて、喜多八は、禁じられている謡と舞を、お袖に教える。
このシーンは、小川の流れる森のなかで、繰り返し描写され、そのつどの構図がすんなりと決まり、どこをとっても一幅の絵のようだ。
能に造詣の深い鏡花が、謡や仕舞にこと寄せて、男女の心の通い合うさまを描いた原作を、ほぼそのとおりに映像化している。
ラストも、二人が抱擁するシーンで、悲恋に見えたかのような物語は、ハッピーエンドとなる。
主演の市川雷蔵と山本富士子は、このころが最盛期の俳優であり、雷蔵の端正な顔立ちと、山本富士子の日本的な美貌が内容に合致している。
その他、脇には、当時の映画界を支えた多くの俳優が出ており、当時の俳優の層の厚さを見せつけられる。
お袖の厄介になっている置屋の主人に上田吉二郎、その女房に賀原夏子、喜多八が寝泊りする木賃宿の大家は浦辺粂子、そのほかに、小沢栄太郎、信欣三、角梨枝子、見明凡太郎らの顔もあり、われわれ世代からすると嬉しくなる。
衣笠貞之助は、初のカラー作品としても、海外から高い評価を得た1953年の『地獄門』に味を占め、この映画もカラーにした。結果として、夕刻の風景、木の陰のたゆたう姿、衣装の美しさなどを際立たせた。
カラーになることで、『地獄門』での長谷川一夫の美男ぶり、京マチ子のあでやかな美しさがそのまま映像美となったように、この作品でも、市川雷蔵と山本富士子の美貌がカラーに映え、能の謡や舞の起こす幽玄の世界に溶け込んでいる。
(なお、個人的に、長谷川一夫は美男とは思わない。)
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