映画 『極道の妻(おんな)たち』

監督:五社英雄、原作:家田荘子、脚本:高田宏治、音楽:佐藤勝、主演:岩下志麻、かたせ梨乃、世良公則、成田三樹夫、1986年、120分、東映。


東映ヤクザ映画路線の延長線上に出てきた作品。極妻シリーズとなる第一作。

『鬼龍院花子の生涯』(1982年)の力強さはないが、組長の妻に焦点を当てた脚本で、男中心の映画とはまた別の味わいがある。『226』(1989年)のようなふやけた出来になるより、よほどいい。

シリーズのその後の作品は、監督が替わっている。その後のシリーズもそれぞれにおもしろいが、脚本、カメラワーク、照明、キャスト、演出、メイク、音楽といった映画的要素という点からは、この第一作はかなり充実しており、キレのよい作品に仕上がっている。

成田三樹夫をはじめ、脇を固める俳優陣も適切で、藤間紫、松尾和子などの出演もうれしい。

 

高島礼子は演じ切るが、三田佳子や十朱幸代では、どうしてもサマにならない。岩下志麻はさすがに純情な娘役など文学作品の映画化で鍛えられており、役や状況に成り切れる点で、すばらしい女優だ。台詞や表情もきちっと決まる。

かたせ梨乃はうまいとは言えないが、スクリーンに乗ったときの存在感はあるだろう。


跡目相続の映画としてだけ見てこれを批判するのは簡単だが、同時に、映画を観る目の限界を自ら白状したようなものだろう。映画はストーリーや会話だけで観ると、そういうコメントになる。

いわゆる五社らしい雰囲気やムードというものが、そこかしこに表現されており、これはこれで充分エンタメ性も盛られている。

特に、女優を美しく撮れるというのは、監督の第一条件だと思う。


プールの水面を背景に、成田が世良に殺しの依頼をするシーン、船のへやで、世良が成田に言い寄るシーン、淀川の水上バスの中で岩下と成田が話すシーン、高松の刑務所前とその塀の脇のシーン、そして、ハイライトとなる岩下とかたせの取っ組み合いのシーン、ラスト近く、世良がかたせの乳房を吸いながら死んでいくシーンなど、映像としての見せ場は多い。

エロス、血なまぐささ、任侠、極道社会のケジメといった内容を、うまく絡みあわせた作品だ。タイトルロールの文字もピンクだ。


それだけにカネもかかっているのがよくわかる。岩下の乗る車は、黒のロールスロイスで、エンブレムからしっかり映される。そこには、当時まだ珍しかった自動車電話があり、岩下がそれを使って話す。

車以外にも、総本部の屋敷や、その前に並んだ黒の高級車、屋敷の中、岩下の着物、他に俳優陣の顔ぶれからして、名前のある監督には十分な投資がなされているのもよくわかる。


音楽も大物、佐藤勝で、メインテーマほか場面を盛り上げる音入れはさすがだ。


今回観ても、やはりお気に入りのシーンはここだ。

世良が岩下と無理にでも話をしたくなり、初めて面会する。

名古屋ナンバーの世良の車が岩下らの乗る二台の高級車をすぐ後ろから追いかけ、ようやく橋の上で、二台の前に自分らの車を止めて、世良と岩下が向き合う。夜のすがすがしい空気のなかで、下を通る道路と車を背景に、世良と岩下が、ツーショットで、少しの間、話をする。

場所をどこにとるかによって、シーンは生きもするし死にもする。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。