監督:佐藤純弥、脚本:小野竜之助・佐藤純弥、撮影:飯村雅彦・山沢義一・清水政郎、編集:田中修、美術:中村修一郎・桑名忠之、録音:井上賢三、照明:川崎保之丞・梅谷茂、音楽:青山八郎、主演:高倉健、宇津井健、1975年、152分、カラー、東映。
ある日、国鉄に、東京駅を出発した<ひかり109号>に爆弾を仕掛けた、という電話がかかってくる。しかも、爆弾は、走行速度が毎時80kmを下回ると、自動的に爆発するという。
初め、イタズラ電話のひとつかも知れないと思っていた国鉄は、犯人が言ったように、実際に事前に、夕張で列車爆破が実施されたことから、警察と連絡を取り合い、犯人との行き詰まる駆け引きが始まる。・・・・・・
パニック映画というものには、突っ込みどころはいくらでもある。当時携帯電話があれば成立しない内容だし、新幹線のミニチュア(といっても一輌が1m)も、すぐそれとわかる代物だ。そういうところを突っ込むのはルール違反だ。
日本人として、日本人のつくる映画を礼賛したいという気持ちは常にある。だからといって、身びいきではない。日本の映画にして、いいものはいいと言わなければならない。
列車や飛行機のパニックは、自然災害と違って、ただでさえパニックが長引くので、作る側としては好都合だ。それだけに、ちょっとリズムが狂うと、駄作になってしまう。
それでもなお、ハラハラドキドキを持続させる常道は踏んでいて、それなりにカーチェイスやダイナマイトの爆発など、アクションシーンもある。当時の邦画でもここまでやれたのだと思うと、誇りにさえ思う。
特に、夕張での汽車爆発や脱線は実写であるし、高速道路や私鉄の線路でのロケもよくやっていると思う。
ロケ地があちこちに飛ぶのもよい。松本清張の小説のようだ。都内では池袋周辺や板橋区、また、長瀞の川下りも出てくる。あとはほとんどセットだ。新幹線指令所も、まことしやかに作られたセットだ。
主犯の沖田哲男(高倉健)は、最後に外国に逃げようとするので、ラストに飛行機も映る。新幹線、私鉄、乗用車、警察車両、オートバイ、長瀞ライン下りの船など、オール乗り物という感じで、出演者も、当時刑事ものや映画に出ている俳優が多数出ている。
ちなみに、まだ駆け出しの小林稔侍が、爆発物を仕掛けられた新幹線の運転助士を演じている。セリフはまだ少しだ。運転士は千葉真一だ。
2時間半に及ぶ映画であるのは、犯人相互の出会いやそれぞれの生い立ちなどが挿入され、彼らと乗客というローテーションが基本にある上、さらにそれぞれの現場で、いろいろな争いや葛藤が描かれているためだ。ここが、単なるパニック映画ではないですよというところだろう。
高倉健は、これから後、うらぶれた風来坊を演じることが多くなるが、このころはまだ、『網走番外地』など任侠もののイメージが強かったはずだ。その高倉が、本格的な悪役を演じるのであるが、いま見るせいか、どうしても悪人に見えない。高倉は、この映画を境に、役柄を広げていく。
しかし、それでよかったようだ。というのも、そころどころ挿入される回想シーンにより、根っからの悪人ではないことがわかってくるからだ。それでもその善人のイメージを掻き消し、いかにも犯人らが悪事をはたらいていると痛感させるのは、パニックになった乗客の一人の妊婦が産気づき、死産してしまうあたりからだ。
これは映画中盤であり、ここから新幹線爆破というスリルに重ねて、さらに重厚な人間模様が描かれ、人間ドラマとして展開していく。
邦画にも、こうしたパニック映画が昭和50年に作られていたというのは、日本の誇りだ。もちろん東映のような大資本あってのことだが、それでも、いかにも日本風らしい内容のパニック映画として、その存在を忘れないようにしたい。
パニック映画のメッカ、アメリカは、広い土地も資本もあり、爆発にしろスタントにしろ、それに応じられる人材も豊富だ。それでも多くは、爆発炎上、カーチェイス、銃撃戦の三つがあれば何とかなる。
それをマネしていても始まらない。誠実に撮られた映画は、この映画のように、直後でなくても、必ずいつか評価されるのだ。
アメリカのパニック映画を代表する『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)『大地震』(1974年)『タワーリング・インフェルノ』(1974年)などのほうが、最近のものより秀でている。それはなぜか。
ミニチュアなどを最低限にして、あとはホンモノを使っているからである。パニック映画は、恋愛ものや人生ものではない。画面にリアルさが現われてこそ、エンタメ性が担保されるのだ。
本作品は、『暴走機関車』(1985年)、『スピード』(1994年)にも影響を与えたと言われる。
0コメント