監督:グレゴリー・ホブリット、脚本:ロバート・フィヴォレント、マーク・R・ブリンカー、アリソン・バーネット、撮影監督:アナスタス・ミコス、編集:デヴィッド・ローゼンブルーム、美術:ポール・イーズ、音楽:クリストファー・ヤング、主演:ダイアン・レイン、ビリー・バーク、2008年、100分、原題:untraceable(追跡不可能な)
FBIでサイト犯罪を担当する捜査官ジェニファー(ダイアン・レイン)に、新しい仕事が舞い込む。人をじわじわ殺していくようすがネット上のライブ映像として配信されており、その犯人を突き止めることであった。がしかし、犯人への手がかりは、もはや追跡不能に近かった。
さらに第二の犠牲者が出る。世界中でその殺人サイトのライブ映像を見ると、そのアクセス数が増すごとに、とらわれた裸体の被害者に当てられた電球の熱の温度が上がり、やけどだらけになってしまうもので、結果的に世界中の視聴者の前で、その男も死亡してしまう。
やがて、捜査の手が身近に迫ったことを知る犯人は、次に、ジェニファーの同僚を狙う。
アクセス数が増えると、一滴一滴薬が体内に入り込む、アクセス数が増えると、人間に向けられた照明に明るさが増してやけどしていく、アクセス数が増えると、水槽のなかに硫酸が流れ込み、肌が溶け出すなど、犯人はサイコ野郎であるが、そのハイテクの技術は高く、その場所もわからないため、犯人を捕まえることができない。
やや残虐なシーンを取り混ぜたサスペンスだ。
監督は、エドワード・ノートンを『真実の行方』(1996年)でデビューさせたグレゴリー・ホブリット、主演は、『アウトサイダー』(1983年)『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年)が懐かしいダイアン・レイン、音楽は『告発』(1995年)『スペル』(2009年)などのクリストファー・ヤング。この音楽が、静かな不気味さを盛り上げている。
超ハイテクを自在に操る犯人に、捜査側が追いつけないイライラと、犯人に捕えられた被害者の姿が交互に映り、ラストまで緊迫感を持続させている。
特に、死に近づく身動きとれない被害者が画面に出るとき、観ているわれわれもそこに参加しているような錯覚を起こすが、犯人目線と同一化する直前に、捜査する側に切り換えられる。
ジェニファーは夫を亡くし、娘と母との三人暮らしで、ジェニファーの母親としての姿も描かれる。娘の誕生日会に、同僚も集まるが、それぞれに緊急の呼び出しを受けて、その場を後にする。
ついには、ジェニファー自身も犯人に捕えられ、<アクセス殺人>の被害者として、ライブ映像に映し出されてしまう。そのシーンのためにも、家族の描写はあってよかった。
極力、人間ドラマを混ぜずに、純粋に、卑劣な犯人とジェニファーらの対決軸でストーリーが展開していく
チェイサーものだから、初めから引っ張れる利点があるので、ストーリー運びに悩みはなかっただろう。サイコ野郎にも一定の理由があり、犠牲者には関連があることが多少わかる。
ジェニファー側の家族物語はほとんどカットされていていいのだが、犯人の側には、犯人逮捕の直前、ジェニファーにワンシーンで犠牲者らとの関連を話させるだけでなく、もう少しその動機を描いてもよかった。
ここがほとんど語られないため、ただの面白半分のサイコ野郎というだけで済んでしまっている。
そして、こういうストーリーの場合、いつも犯人は孤独な20歳の男、というのが定番のような気がするが、もうちょっと何とかならないのかと思う。
アイデアはよいが、犯人側のキャラクター描写、心理描写と、殺しの動機に切り込んでいたら、もっと厚みのある作品になっていただろう。
だが、エンタメ性もあり、まあまあ楽しめる映画となった。
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