映画 『裸足の伯爵夫人』

監督・脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ、撮影:ジャック・カーディフ、編集:ウィリアム・ホーンベック、音楽:マリオ・ナシンベーネ、主演:ハンフリー・ボガート、エヴァ・ガードナー、ロッサノ・ブラッツィ、1954年、131分、カラー、原題:The Barefoot Contessa


ハンフリー・ボガート52歳、エヴァ・ガードナー31歳のときの作品。


映画監督のハリー(ハンフリー・ボガート)は、新たな女優を探すうち、マドリッドのカフェで、マリア(エヴァ・ガードナー)を見つける。彼女は貧しく、それもあり、裸足で踊っていた。ハリーはスカウトし、心配するマリアをようやく説き伏せて、イタリアのチネチッタに連れてくる。

ハリーの映画は大ヒットし、マリアはその美貌もあってスターの仲間入りをする。

妻殺しで起訴された父の法廷に立つという怖いもの知らずの行動もプラスに評価され、彼女はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

リビエラへと赴いたマリアは、そこでファブリーニ伯爵(ロッサノ・ブラッツィ)に見初められ、早速週末のパーティのゲストに迎えられる。そして、求婚され、かつての裸足のダンサーは伯爵夫人となるのだった。・・・・・・


ひとりの名もない娘がスターになる話は、いくらでもある。その内幕のひとつの事例をマンキウィッツは描き出した。

大ヒットとなった『イヴの総て』(1950年)は舞台劇の内幕ものであったが、こちらは映画の内幕ものである。ただ、こちらも、映画の撮影やスタッフとの関係など、仕事にかかわるマリアの姿は一切映されない。

『イヴの総て』が会話劇であるのに対し、こちらは、会話以上にナレーションが多く、やや退屈の感がある。

しかし、ハリーがマリアを育てるための道筋が、決して単純なものではなかったことまで、詳細な描写がなされている。


薄幸なマリアが、ハリーというよき理解者を得て人気スターになるが、その一方、マリアは奔放な性格のまま、世間知らずであり、情熱家でもあり、その結末として、早すぎる死を迎えてしまうのである。


ファーストシーンは、マリアの葬儀のようすで、ハリーの姿を映し、そのナレーションで始まる。いわば回想ものだが、ナレーターは、その葬儀に出席している他のメンバーにもなる。ラストはここに戻る。


性的不能であることを隠して、結婚式当日に、抱擁したあと、軍の医療証明書を見せて、真実をマリアに告げ、へやを出ていく伯爵。みんなに祝福されて寝室で新妻の喜びを予感するマリアは、その数分後、悲劇のどん底に落とされる。暗いへやに残されたマリアの悲痛な表情や嗚咽と、庭で披露宴パーティをおこなう多数の人々の歓声が、みごとなコントラストを効かせている。


エヴァ・ガードナーは、ハリウッドスターのなかでも絶世の美人であり、私も好きである。細やかな演技力は難しかったが、スクリーンに映ったときの存在感は圧倒的であった。

この彼女の個性をうまく使ったのが、チャールトン・ヘストンと共演の『北京の55日』(1963年)であり、その後おなじくヘストンと共演するパニック映画の傑作『大地震』(1974年)であった。

1990年1月に67歳で死去している。もっと活躍してもらいたかった。


日常性の地平

日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。