映画 『キャビン・フィーバー』

監督・製作:イーライ・ロス、脚本:イーライ・ロス、ランディ・パールスタイン、撮影:スコット・ケヴァン、編集監修:ジョージ・フォルシー・Jr.、音楽:ネイサン・バー、アンジェロ・バダラメンティ、主演:ライダー・ストロング、2003年、92分、原題:Cabin Fever


『ホステル』(2005年)でブレイクするイーライ・ロスの本格的な長編デビュー作。『ホステル』で有名になったので、逆に過去の作品を辿っていったら、このデビュー作に出会ったというファンも多い。

『マルホランド・ドライブ』(2001年)のデビッド・リンチの元で働いていたこともあり、単純ななりゆきではあるものの、単純明快に割り切れないストーリー性があり、ホラーとしての評価は賛否きれいに分かれている。


この映画では、確かに血を見るのであるが、後に拷問シーンなど残酷で痛い映画としてその狙いが顕著になる『ホステル』に比較すると、ドキッとするシーンはあるものの、それほど激しいシーンは多くない。

逆に見るなら、『ホステル』のように、きれいに整理される以前の不明確で偏頗な内容を含んでいるため、やはりデビュー作だなと揶揄される一方、こちらのほうがロスらしいカオスを含んでいてよかったという見方もある。


この作品はむしろ、『サンゲリア』(1979年)『地獄の門』(1980年)で知られるイタリアのホラー監督、ルチオ・フルチの作風や雰囲気が似ているところがある。

つまり、残虐な行為とその結果を見せものとするホラーに対し、本来、ホラーではその補助手段として位置づけられていたようなアイテムが、演出の中心に置かれているのだ。


この映画では、訳のわからない皮膚感染によって、仲間が死んでいく。

従来のホラーなら、その感染した皮膚の薄気味悪さやグロテスクを、これでもかとアップに映すのだろう。そして、何らかのきっかけでそこを潰すと、『ザ・フライ』(1986年)のように、グチョ~っと膿のような液体が出て、女子どもがわめき散らす、というぐあいだろう。

この映画では、そこまではいかない。ある程度で止まってしまうのだ。血へどをそこらにぶちまけるようなシーンは何回かあるものの、グロにまでいかないし、痛いシーンがあるわけでもない。


では、この映画の個性はどこにあるか。

言うにいわれぬ雰囲気づくりに、非常に熱心であるのがわかる。

ホラーというジャンルには入るだろうものの、内容全体が、そんなに行儀よく一つのジャンルに落ち着くようなものではない。ホラーとしては座りのよくないホラーなのだ。


この映画の各シーンには、ある臭いがある。死体やゲロのにおいだけならよくあるが、それ以外に、貯水池の水、ガソリン、腐ったカラダ、爛れた皮膚などだ。こうしたホラー的悪臭に加え、人間関係の希薄さや論理性のなさも特徴のひとつだ。


仲間が伝染性の病気にかかったということで、きのうまでの仲の良さなどは消え去ってしまうという裏切りや、村人たちの妙に連携のとれた異常な行動など、正負が合わず、帳尻も合わず、勧善懲悪のルールが無視されていて、それぞれの集団のもつであろうべきベクトルは支離滅裂になっている。


主演はたしかに5人の男女だが、舞台の主導権はむしろ、この村と村の人々のほうにある。大麻を持ってきたから仲間に入れてくれという青年、腐ったブタを殺しながらわめく女、出会いはいいものだと語る不道徳な地元の若い警官、5人が寄った店の店主とそこにいる噛みつき少年など、5人は異邦人として、横に結託した人々の住む村に、つまり、それ自体が伝染病に冒されているような村に、何も知らずに入りこんだというわけである。


彼らがビールなどを買いに寄る店は、冒頭すぐに出てくるし、ラストシーンも、この店の前で少女たちがレモネードを売るシーンで終わっている。しかし、このレモネードを作る水は、伝染病にかかった男や、同じく病気になったポールが捨てられた下流の水で作られており、どこまでも終わらない円環をにおわせて、終わりとなる。この店こそ、実は、村人たちの結束を象徴している。


5人が寄るその店の外にいる金髪の少年(マシュー・ヘルムズ)は、映画の本筋には全く関連がない。しかし、冒頭と途中に二度登場する。いきなり噛みつくこの金髪の女性のような容貌の少年は、店主の息子らしいが、いったい何で噛みつくのか説明などはない。二度目の登場シーンでは、助けを求めに来たバートに、パンケーキ!パンケーキ!と催促し、断られるとテコンドーのような動きを披露する。単にサイコな少年として象徴的に登場するのだが、噛みつくということで、伝染病の怖さを暗示するかのようだ。直後の父親の言葉も滑稽で理不尽そのものだ。この子役はその後バレリーナになっている。


こうして、この映画は、いわゆる痛いだけのホラーではなく、ややサスペンスの香りと腐敗した日常の臭いを漂わせながら、とりとめのない理不尽な人間世界をも描こうともがいている点で、ホラーを超えた作品であり、そういう見方をするならば、何度観ても飽きのこない作品である。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。