映画 『ある夜のできごと』

監督・脚本・編集:鈴木聖史(さとし)、撮影:岩見周平、美術:今井伴也、岩瀬直美、音楽:山田京子、主演:秦秀明、松尾敏伸、内山信二、2010年、74分、


かっちゃん(秦秀明)は東京で雑貨屋をしているが借金もあり客もあまり来ない。ある日、地元・山梨で、同級生とよく寄っていた居酒屋のオヤジの葬式に出るため、喪服を着たまま出かける。

葬式の帰りに、ヤスタカ(松尾敏伸)、ケンさん(内山信二)と会い、オヤジを偲ぶということで三人で飲むことになる。

三人とも32歳になっていた。七年ぶりに会うことになったにもかかわらず、それぞれがいろいろなことを言い合う。・・・・・・


この三人の話と並行して、タイムカプセルを持った女子高生のエピソードが描かれる。三人の通っていた学校の男子二人が、校庭のすみで、ビンに入ったタイムカプセルを見つけ、それを仲間の女子高生三人が受け取って中を見ると、かっちゃんら三人の当時の写真があった。

三人が昔から七年前までを思い出しながら、当時の過去の情景を交えて、現在の会話に挿入される。閉店になって外に出ると、三人は学校の屋上に行き、朝を迎える。そこに朝練に来たさきほどの女子高生三人が現われ、タイムカプセルの話をする。


三人それぞれに不安定な心境や生活をもち、仕事や将来への不平不満をもちながら、最初のうちは互いに隠していたものの、酒が入り会話がはずみ、突っ込みを入れ合う状態になると、互いにかかえている心配ごとや厳しい現実を露わにし、口論ともなる。

この居酒屋での三人の会話が、ある夜のできごとなのだ。

だが、そのまま翌朝、卒業した学校に行き、屋上で朝を迎えると、また友人同士の顔になって、それぞれが去っていく。


よくあるパターンのストーリーであり、大ごとが起きるわけでもなく、掴み合いの喧嘩が始まるわけでもない。

過去の事態を紡ぎだすため、いきおい会話が多くなるが、青春から数年を経て、三十路に入った友人相互の葛藤や攻撃を摘出するのがテーマであり、やむを得ないだろう。

カメラも、アップやバストショットが多く、観ていて疲れるが、テーマの実現は達成した映画である。


映画として何を表現するのか。その基本に忠実に作られた作品であると思う。

決して、観ていて面白味があるわけでもないが、小品ながら誠実な製作態度には共鳴できる。

日常を次元としたふつうの人々の映画であり、邦画界にこうした活躍が見られるのはうれしい。邦画のよさの第一は、やはり日常の慎ましいできごとを描くにある。

欲を言えば、誠実さはよいとして、映画・映像に、遊び心がもっとほしい。誠実で深刻な映画でも、エンタメ性の追求を忘れてはならない。


カメラももう少し、動いてもよい、屋上の三人と、校庭の女子高生三人とを別々に撮って交互につなげるだけでは、ぶつ切り状態だ。特にあのクライマックスシーンでは、それでは足りない。両者が同じフレームにあるような絵を、何回か入れるべきであった。これは予算の関係ではない。地面にカメラを置いて仰角に設置すればできるだろう。それをしたくてしなかったのは、学校にしている建物の関係で、余計なものが入ってしまうのかもしれない。


全体に、ほとんど音入れをしなかったのは、功を奏している。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。