映画 『カサンドラ・クロス』

監督:ジョルジ・パン・コスマトス、脚本:トム・マンキーウィッツ、ロバート・カッツ、ジョルジュ・パン・コスマトス、撮影:エンニオ・グァルニエリ、編集:ロベルト・シルヴィ、フランソワ・ボネット、音楽: ジェリー・ゴールドスミス、主演:ソフィア・ローレン、リチャード・ハリス、バート・ランカスター、1976年、129分、英伊西独合作映画、原題:The Cassandra Crossing


パニック映画としては二年前の『大地震』(1974年)などに匹敵するヒット作品となった。ドイツ統一は 1990年10月であり、当時はまだ冷戦が背景にある。


パニック映画はまず、パニックが起きる原因があり、次にパニックそのものが発生し、最後にそのパニックの結果が描写される。

発生の部分は前半の盛り上がりだが、それまで多少もたついても、起きてしまえばそこまでは納得だ。問題はその後、時間にしてほとんど後半全体という時間、観客をどう引きつけ続けるかが製作者サイドの腕のみせどころだ。


この映画は自然災害と違って、細菌の保有者が、閉じられた空間である列車のなかにいるという設定で、列車が止められないという点で『暴走機関車』(1985年)と似ており、舞台が豪華列車という点で『オリエント急行殺人事件』(1974年)にも似る。

パニックの起きるようすは、ストーリー上の「転覆」でダイナミックさを増すので、普通の列車ではつまらないのだ。ホラー映画でも、とりあえず可愛くセクシーな女がメタメタにされるから、そのギャップがエンタメ性をもつのと同じだ。


この映画では、ストーリーの展開がうまい。スリルと安堵をうまく縒(よ)り合わせ、実にこまやかで、観る側に退屈を与えない。ある件が起きるとそれがまた他の件を引き起こすことになり、広がりをもっている。パニック映画に必ずや出てくる個人的ラブストーリーも最小限に抑えられている。順風な夫婦が大活躍したのでは、これもつまらない。離婚している男と女が活躍するから、そこにまた負のベクトルを正のベクトルに向けかえることによるダイナミズムがはたらくのだ。


しかしまたパニック映画には、必ずといっていいほど粗(あら)もある。つまり突っ込みどころだ。この映画にも、なぜ?と思うところはいくらでもある。パニック映画は、エンタメ性を発揮でき、それを映像世界で描写できていれば、その突っ込みをかわすことができる。

製作側はもちろん突っ込みどころがどこかは、全部わかっている。といって、それに口実を与えないように、妙に行き届きすぎたストーリーやセリフを入れて、かえってみずから映画のエンタメ性を失わせてしまうようなことになれば、もっと大きな批判を浴びるだろう。


マッケンジー大佐(バート・ランカスター)らのいる一室と、列車の中という二か所を行き来するストーリーは、これ自体が話を一本調子にしない基本であり、やはり基本の上に作られた映画というのは成功するのである。

この映画では、セットもよかった。当時は最新鋭とも言えるコンピューター、電子機器などのほか、マッケンジーらがいるへやや廊下も、冷たく無機質で、マッケンジーの判断に従うような雰囲気を醸(かも)し出している。


犬を乗せたカゴをヘリコプターが引き上げるシーンでは、危うくヘリがトンネルの壁にぶつかりそうなり急上昇する。ありふれているとはいえ、やはりカットや編集もうまく、手に汗握るのだ。

ニュールンベルクでは、マッケンジーの命令で、列車の各車両が封印され、酸素マスクをした兵士が乗りこむ。ここに列車がゆっくりと入線してくるときのシーンもうまい。夜でありライトがあり、重装備の兵士らはライフルをもっている。あたかも、ユダヤ人を乗せた貨車が収容所に着いたような描写でリアル感がある。


音楽は『トラ・トラ・トラ!』(1970年)、『チャイナタウン』(1974年)、『氷の微笑』(1992年)などで知られる大御所ジェリー・ゴールドスミスだ。冒頭から、甘美にして悲劇的な旋律が流れる。このメインテーマは随所で音を替えて出てくる。先のヘリのパニックシーンなどでの効果音楽もみごとだ。パニック映画も、ふわさしい音楽や効果音を得て初めて、ひとつの作品として完成する。この映画がよい例だ。


本作品は、すべてにおいてバランスがとれている映画でもある。ニュールンベルクでの列車封印を尺のほぼ中央に置き、その前と後のバランシがよい。ストーリー展開のうえで、さまざまなキャラクターを分別し、それぞれのかかわりをそれぞれの存在価値に比例して出演させる。滑稽なシーンも隠し味とする。冒頭の雲の上からの山岳の空撮から俳優のアップまで、ヴァリエーションに富む。名立たる俳優陣が出演し、ストーリーにサイドから肉付けを行っている。そして、そこにみごとな音楽が伴う。


それにしても、エヴァ・ガードナーやアリダ・ヴァリは、よくこんな役を引き受けたなあと思う。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。