映画 『ケース39』

監督:クリステァアン・アルヴァルト、脚本:レイ・ライト、撮影:ハーゲン・ボグダンスキー、編集:マーク・ゴールドブラット、音楽:ミヒル・ブリッチ、主演:レネー・ゼルウィガー、ジョデル・フェルランド、2009年、109分、米加合作、原題:Case 39


ソーシャルワーカーの仕事をしているエミリー(レネー・ゼルウィガー)は、ある少女リリー(ジョデル・フェルランド)が両親から虐待を受けているケースを担当する。

リリーは学校に行っても居眠りばかりしており、自宅に引きこもりがちであった。


エミリーはリリーの自宅を訪問するが、リリーと並んで話す両親からは異様な雰囲気を察知する。

万一に備えてエミリーはリリーに電話番号を教えるが、ある晩、リリーから助けを求める小声の電話が入る。エミリーが同僚と駆けつけると、両親はリリーをオーブンのなかに閉じ込めて焼き殺そうとしていた。・・・・・・


ケース39とは、このリリーの案件が、エミリー担当の39件めだからだ。なかなかいいタイトルをつけたと思う。


ホラーとされるがホラーまじりのサスペンス。血生臭いシーンはほとんどなく、リリーがエミリーと暮らし始める30分過ぎくらいから、それらしいできごとが徐々に起きてくる。

通常のホラーより20~25分ほど長いぶんだけ、ストーリーは行き届いていいはずなのだが、深まりがなくて長くなっているので、少々平べったい印象を受ける。


魔力をもった少女が主役である点で『エスター』(2009年)に似るが、それよりはこちらのほうが展開もトーンも穏やかだ。

ホラーとしては不満であり、普通のサスペンスものにしては掘り下げが足りない感じだ。リリーの魔力に統一感やその核心がないためだが、エンタメ性はある。


登場人物の数は妥当と思うしストーリーの発想はおもしろいのだが、ラストに向けてのエミリー自身の過去が描ききれていないし、リリーがそこに鋭く気付くというのも、リリーにそれだけの力があるということがコトバでだけしか語られていないため、観客は因果を納得できないままラストに進んでしまう。


例えば、個人的には好きでないが、どこか宗教がらみの例え話的エピソードが平行して語られていればいいのだがそれはなく、あたかもまずは魔性の美少女そこにありき、から始まってしまっている。それならそれでかまわないとしても、前半のおとなしめな姿にも、どこかそれを匂わせ、語らせていないと、いくら作り話でもちょっと付いていけない。『エクソシスト』(1973年)から宗教性と凶暴性を差っ引いたようなつくりだ。


少女リリーまたは悪魔リリーの視点がないわりに、リリーの力が奔放に周囲を左右する、というストーリー上の無理がある。

しかしこれをB級というならそれまでで、それなりの主演女優や演技のできる美少女を出すからには、もう少し念の入ったストーリーがほしかった。

それでも、格闘場面で、悪魔の顔をチラチラ出すやりかたはよかったし、次第に、両親がリリーを虐待しているのではなく、実は両親のほうがリリーにおびえていたのだということがわかってくる展開もよい。


エミリーの恋人が、無数のハエにたかられて死ぬシーンは笑える。

いろいろと支離滅裂だらけだが、それを一本の映画として仕上げようとする熱意が、かえってエンタメ性を高めているという皮肉な結果オーライになった映画だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。