映画 『ドラゴン・タトゥーの女』

監督:デヴィッド・フィンチャー、原作:スティーグ・ラーソン、脚本:スティーヴン・ザイリアン、撮影:ジェフ・クローネンウェス、編集:カーク・バクスター、アンガス・ウォール、音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス、主演:ダニエル・クレイグ、ルーニー・マーラ、米英独スウェーデン合作、2011年、158分、原題:The Girl with the Dragon Tattoo


『ミレニアム/ドラゴン・タトゥーの女』(2009年、153分、スウェーデン映画)を元にして作られた作品。


監督は『セブン』(1995年)で有名なデヴィッド・フィンチャーで、彼の他の作品より、映像表現やカットは『セブン』に似ている。全体にグレーがかった色彩や薄暗がりや夜のシーンが多かった。雨のシーンは冒頭にもってきただけで、あとはなかった。


いきなり展開が早く、人名や情報がどかどか出てくる。ヘンリック一族の話でも、覚えきれないほどに名前が次々と出てくる。ちょっと面食らうが、付いて行こう。

わかるだろう情報は略し、わかるだろう気持ちの動きも略し、テキパキと現実の運びに重点を置いた映画だ。

まあまあおもしろかった。ストーリーとキャラクター描写だと思う。


後半で、ミカエル(ダニエル・クレイグ)とリスベット(ルーニー・マーラ)は出会い、少女の調査をいっしょにおこなうが、それまでは顔を合わせていない。しかし、ミカエルとリスベットの現在が、それぞれに並行して描かれる。長めのクロスカッティングの手法で、両者の今のようすを交互に描き出したのはよかった。


むろん、話の上では、ミカエルを逆に名誉棄損に追い込んだヴェンネルストレムに雇われたハッカー女と、その敵という間接的関係はあったが、それを知らせたうえで、中盤に出会わせるというのがよかったと思う。判決のあとのそれぞれの生活やなりゆきを、こうして示しておくこともできた。

この二人を交互に描くやりかたは、調査が始まってからも続けられる。ミカエルには同業であると同時に恋人でもある女がおり、家族は家族で別にいる。娘との交流もアクセントに使われる。


これに対し、リスベットの描き方は強烈であった。ピアスをはめたメイク、髪型、服装から始まり、バイクに乗って疾駆するシーンや、PCの打ち方ひとつにしても、個性的な演出がなされ、個性的なカット・編集が繰り返される。

からだにはところどころタトゥーがあり、背中の左側にドラゴンのタトゥーがある。タイトルになっているが、映画ではこのタトゥーには全く触れていない。チラリと見せるだけである。


二人は調査の合間に、二回ほどセックスするが、なぜかボカシがついている。ボカシを入れるくらいなら、『氷の微笑』のように、撮り方をくふうすればよい。この、実は暴力的な香りの漂う映画の基調からしてボカシは合わない。

無事調査が終わっても、話はまだ続くのであるが、ラストまで飽きさせない手腕はみごとだと思う。


この映画のテーマは、こんな事件にかかわったリスベット自身なのだろう。少女失踪の真相究明は、むしろリスベットがおそらく初めて生きがいをもって当たった仕事であり、時間でもあったからだ。


このルーニー・マーラという女優は初めて注目したが、この役柄に合っていていい感じだ。踏査を通じて初めて友人と言える人物になったミカエルにプレゼントを届けようとするが、ミカエルが恋人とタクシーに乗る姿を見て、それをゴミ置き場に投げ捨て、バイクでひとり去ってゆく。ここだけは何ともセンチメンタルなシーンで、これがラストシーンだ。

男の観客からすると、観終えて、このリスベットを抱き寄せて、守ってあげたい気持ちになるし、いっしょに酒くらい飲みたい気分にもさせられる。リスベットがいいというなら、ひと晩つきあってもいいと思わせる。(リスベットはレズでもある。)


リスベットとはそんな可憐なキャラクターなのだ。終盤、金髪で全くメイクを変えたリスベットが現れる。ここがまたいい。女は化ける。

タイトルにあるように、この映画の主演は、ミカエルではなくリスベットであり、この映画のテーマも、少女失踪の解明を越えて、リスベットの心の彷徨なのかもしれない。


一定のセンスとしゃれっ気のある映画で、いままで何となくバカにしていたが、観てよかった。映画にはこういうことがたまにある。だからやめられない。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。