監督:市川崑、原作:竹山道雄、脚本:和田夏十、撮影:横山実、美術:松山崇、録音:神谷正和、照明:藤林甲、吉田協佐、編集:辻井正則、振付:横山はるひ、特殊撮影:日活特殊技術部、助監督:舛田利雄、スチール:斎藤耕一、音楽:伊福部昭、主演:三国連太郎、安井昌二、1956年、第一部:63分、第二部:81分、モノクロ、配給:日活。
DVDではこれら合わせて監督が編集しなおした総集編となっており、116分、白黒。
1945年7月、井上隊長(三国連太郎)率いる部隊は、タイ国境近くのビルマにいて、国境を越えようとしていた。音楽に詳しい隊長は、部隊休息のたびに、上等兵の水島上等兵(安井昌二)に竪琴を弾かせ、皆に歌を歌わせた。
部隊は終戦を知り、ムドンという街に着いて、現地イギリス軍に降伏するが、穏やかに処遇されるうち、近くの三角山という洞窟に日本軍の一隊が投降せず攻撃してくるので、誰かを行かせて説得してきてほしい、と頼まれる。井上はすぐさま水島を呼び、手段はどうでも彼らに、山を下りてくるよう頼む。
洞窟までたどり着き、水島はそこに立てこもる隊長と話をするが徒労に終わり、なお白旗を掲げようとすると皆に咎められ、その直後英軍と撃ち合いとなり、隊は全滅し、水島も意識不明となる。
井上や同胞は水島がいつまでも帰らないので、死んだものと思わざるをえなかったが、・・・・・・
かつては中学・高校の読書感想文の定番の一つであった竹山道雄の原作を映画化したもので、初めは昭和30年当時ビルマでのロケができなかったため、日本で撮影して第一部を完成した直後、ビルマロケの許可が下りて、さっそくスタッフ一同現地に入り、第二部を完成させた。その後、監督が第一部にもビルマロケのシーンを混ぜるなど大幅な編集を加え、一本のつながった本編となった。
戦争映画というより、ひとりの兵士の生き方の物語だ。
内容柄エンタメ性とはほど遠いが、それだけに静かで心打つ作品であった。
内容からして反戦と言えるが、目くじら立ててそれを叫ぼうというのではない。意識が回復してから水島は部隊のいるほうへ歩くが、その途中で、目を覆わんばかりの日本兵の累々たる死骸を何度も見てショックを受けてしまう。そのことで水島は、日本に帰るより、ビルマの山や川べりに置き去りにされた同胞の遺骸を、荼毘に付し、土に埋め、生涯仏門に身を捧げる決心をするのだ。
井上以下部隊の仲間は、水島が生きているならもう一度会いたいと思い、いろいろ手を尽くすが、なかなかかなわない。それでもようやく、ビルマの僧侶のいでたちをした水島と、終盤で相対することができる。しかし遠くに立ったままで言葉を交わさない。仲間らの歌に、水島は竪琴を弾いて、応じるのである。
そのシーンで『埴生(はにゅう)の宿』が奏でられる。『埴生の宿』は全編で折に触れ、演奏される。そこでは続いて、『仰げば尊し』が弾かれ、今は言葉を交わすこともできず、このまま別れる、という水島の言葉の代わりとなっている。
現実的には、兵隊が竪琴を持って歩く、イギリス軍の親切な対応、その他ありえないことばかりだろうが、架空の物語としてもうったえかけるものは強く、不朽の名作と言われるのは納得できる。
ビルマの家でメシをごちそうになったあと、同じく『埴生の宿』を合唱するイギリス軍とまみえるシーンをはじめ、肩に乗るインコを通じての水島とのやりとりなどうまい演出だ。
北林谷栄が現地の行商のおばさんとして登場する。この人、何をやらせてもうまい。西村晃や内藤武敏の若かりし頃の顔も見られるが、三国連太郎が印象的だ。こうした心優しい役回りは珍しい。だがやはり、息子と違って存在感がある。
いつもながら和田夏十の脚本が秀逸であり、カメラワーク、特に構図とアングル、シーンの設定がすばらしい。監督の職人気質を感じる。ビルマの仏像や街並み以外でも、明らかに日本とは思えない土地や風景があり、ビルマロケは成功している。
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