キャスト・スタッフは第二部と同じ。新たな登場人物として、苫(とま、夏純子)がいる。苫は子沢山の家庭で身売りに出されそうになるが、伍代俊介(北大路欣也)の友人の仲介で、東京の伍代家の女中になる。その後。俊介を追って、満洲に行き、商売女となる。
第三部は、昭和12年の盧溝橋事件に戦端を開いた日中戦争から、昭和13年(1938年)の国家総動員法の成立、昭和14年(1939年)5~9月のノモンハン事件までが時代背景となる。
第三部では、俊介と順子(よりこ、吉永小百合)のそれぞれの生き様と、戦線にいる標(しめぎ)耕平(山本圭)の軍隊生活に比重が置かれる。
俊介は結局、満洲の伍代を手伝うことになるが、軍に批判的な在満の経済誌に執筆したかどで、その編集長とともに投獄される。その後、伍代一族の人間だとして釈放されるものの、軍人として生きてみることに決心し、満ソ国境のノモンハンに行かされる。
順子は、診療所を兼ねたセツルメント(いわば当時の細民弱者救済施設)に身を置いて働きながら、戦線にいる標(しめぎ)耕平(山本圭)を案じていた。ある日、耕平の戦死の知らせを受け取るが、その後憲兵がアパートの家宅捜索をおこなうに際し、耕平が実はどこかに生きていることを知る。
耕平は左翼活動家として留置されていたが釈放され、直ちに軍に配属され満洲の戦線に送り出される。左翼活動家には二つの選択しかなかった。耕平は監獄につながれたままでいるより、自身の心を整理したうえで、軍人として生きてみようと決意する。規律厳しく上官の命令が至上の軍人生活のなかで、鉄拳制裁やスリッパびんたなども食らうが、それを耐え抜き、戦闘の場面に出くわす。
共産ゲリラを柱にゆわき、耕平ら初年兵が訓練の一環として、彼らに銃剣を突き刺さなければならない。また、戦闘で、耕平と柔弱な同輩に対し、上官が、逃げ遅れた年寄りと幼な子を殺せと命令する。同輩はためらいながらも老人を撃つ。上官は耕平に、子供も殺せと命令する。耕平はそれができず、上官に半殺しにされる。この二つのシーンは、実にリアルにシリアスに描かれている。
この第三部では、耕平と順子以外に、苫の俊介に対する思いも描かれる。苫は伍代家の使用人として働くうち、俊介の優しさの惚れ込み、満洲に移動した俊介のアパートまで押しかけてくる。そして、その晩、俊介のへやに泊まる。最初拒否していた俊介だったが、苫の胸中を察する。
苫は言う、「私、今夜だけなんです、自分の体でいられるのは!」
翌朝、苫は屋台でパンを買ってかじりながら、笑みをこぼす。
冒頭に、戦時中の貴重なフィルムが使った解説が流れタイトルロールへと進む。そのうち南京攻略について、日本軍が30万人のシナ人を殺したという南京大虐殺についてのナレーションが入るが、これは当時の情報であり、その後今日にいたるまでに、その情報が誤りであることが判明してきている。
この第三部をもって、映画『戦争と人間』は完結する。盧溝橋事件に始まる日中戦争は、やがて大東亜戦争へと突き進んでいく。
第三部へと進むにつれ、強引な反戦論は出てこないものの、原作者自身が左翼活動家で投獄経験もあるからには、焦点を当てるところや当て方が、抗日的であり、今後耕平と順子が相まみえることは不可能に近くても、なお耕平を生かしたという筋書き自体に、この貧しい男女にわずかな希望をもたせたと同時に、左翼側のしたたかさ又は信念が勝(まさ)ったという印象を与えている。
俊介らのノモンハンでの戦いも、結局ソ連の圧倒的な火力と情報戦の前に、日本軍は敗退するのであり、それ自体は史実に違いないが、伍代家にあってあれだけ耕平に理解を示し、半ば左翼に近い思考に至った俊介が、死にはしないものの、ただの一兵卒として火炎瓶を持って地を這う姿は空しい以上の印象を観客に与えるだろう。
ノモンハン事件の描写については、三部作を通じ、やや間延び感がある。ソ連のモスフィルムの協力が、かえってその一因となっているようだ。
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