映画 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

監督:スティーヴン・ダルドリー、原作:ジョナサン・サフラン・フォア、脚本:エリック・ロス、撮影:クリス・メンゲス、編集:クレア・シンプソン、音楽:アレクサンドル・デプラ、主演:トーマス・ホーン、サンドラ・ブロック、2011年、129分、原題:Extremely Loud & Incredibly Close


9.11テロで父親トーマス(トム・ハンクス)を失ったオスカー少年(トーマス・ホーン)が、父親の残したメッセージらしきものを探すため、ニューヨーク中を歩き回る物語。


事件後、一年ぶりにようやく入ることのできた父親のへやの奥で、オスカーは、父がいつも持っていたカメラを取り出そうとして、わきにある青い花瓶を落として割ってしまう。そこには、封筒があり、中に鍵が入っていた。何の鍵かわからなかったが、封筒の裏には、Black と書かれており、人の苗字だと思ったオスカーは、電話帳をヒントに、ニューヨーク中のブラックという名前の人に、片っぱしから会い、父の思い出につながるきっかけをつかもうとする。思い出としてオスカーは、そのつど会った人の写真を撮っていく。・・・・・・


冒頭からしばらくは、父親との探検話や散策の親子仲睦まじい光景が映されるが、それは今からの回想であることがわかる。向かいのアパートには祖母が住んでおり、トランシーバーで話すうち、そこに間借り人がいるのを知り訪ねると、口の利けない老人(マックス・フォン・シドー)がいた。老人はメモ用紙で問答するが、オスカーは意気投合して、いっしょに探検を続けることにする。


オスカー役のトーマス少年は、クイズ番組に出ていたところをスカウトされオーディションに通ったとのことだが、発音や多様な表情の演技を、よくこなしている。頭のよさそうなところは、この親子の設定からして適役だが、容姿がきれいすぎるので、内容にふさわしいかどうかはキャスティングとしてどうだろうか。


父親が突然この世からいなくなるには違いないのだが、事件当日の朝、自宅に何度か電話し、いま現在の現場のようすを伝える留守番メッセージが残している。このメッセージは何度か流れるが、最後の6回目のメッセージは、ラスト近くで、オスカーが老人に聞かせるということで明らかになる。


話の筋として、初めから悲劇を扱うというのは、テーマとしてすでに得をしているので、そのストーリー展開や映像のヴァリエーションが勝負になる。

ストーリー展開は申し訳ないが退屈である。次から次へといろいろな人と会うという展開にすれば、飽きがこないというものでもない。話が一本調子という、私のよく言う並列つなぎで立体感がなく、かろうじて老人とのやりとり、過去へのフラッシュバックで応じているという感じだ。

出会う人の数を絞り、それぞれのエピソードを盛るか、せっかくマックス・フォン・シドーまで引っ張り出したのだから、老人との世界を作り上げて本論に並行させて描くなどしてもよかった。


オスカーにとっては、何かを開けるための鍵だったというラストではなく、オスカーが街中を探検して、それなりに満足し、乗れないブランコにも乗れたという結末にしている。

鍵の合う先に、秘密のプレゼントやサプライズでもあるなら、それはそれで陳腐なハッピーエンドになってしまっただろう。

毎日の探検がつづくなか、母親(サンドラ・ブロック)との距離ができてしまうが、それもラストまでに修復されていく。


淡々と進む展開は盛り上がりに欠け、映像的にもこれはというものもなく、少年ものであり、恋もなければホラーもないとなると、しかたないのかなと思う。ほとんどすべてのシーンにオスカーが映っており、映画のつくりとして、悲劇を乗り越える少年というテーマからはずれ、この美少年を見るような映画になってしまって興ざめであり飽きてしまう。

といって、観客の心をつかみながら、涙と笑いの感動を引き起こそうとする意図もないので、観終わってもさっぱりした感じのままでいられる。


この映画はこういうものなんだというしかない。

タイトルは、出会った人々の思い出の写真などを貼りつけた、オスカーの記録帳のタイトルそのものである。

 

日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。