映画 『ヒルズ・ハブ・アイズ 』


監督:アレクサンドル・アジャ、脚本:アレクサンドル・アジャ、グレゴリー・ルヴァスール、撮影:マキシム・アレクサンドル、編集:バクスター、音楽:トムアンドアンディ、主演:アーロン・スタンフォード、ダン・バード、2006年、107分、原題:The Hills have Eyes


ウェス・クレイヴンのホラー映画『サランドラ』(1977年)のリメイクで、監督は『ハイテンション』(2003年)のアレクサンドル・アジャ。


ニューメキシコ州の砂漠地帯の田舎道で、キャンピングカーをつなげた車がさびれたGSに寄る。 給油のあと、近道があると言われ、家族の車はその道を行くが、途中、道路に有刺鉄線が置かれていたためタイヤがパンクし、車は岩にぶつかって大破し、家族は立ち往生する。

話し合いで、父親ボブと娘婿のダグ(アーロン・スタンフォード)が助けを求めにそこを離れる。 残った息子のボビー(ダン・バード)は、何かを追いかけて行った飼い犬ビューティーが死んでいるのを見つける。ビューティーは腹が裂かれ、内臓がなかった。・・・・・・


ジャンルはホラーに違いないが、ホラーというよりスプラッタシーンを含むサバイバルストーリーだ。


家族が立ち往生したあたりは、かつてアメリカが核実験をしたところで、当時それに反対する住民がほら穴に立てこもり抵抗したが、放射能汚染で今では奇形的な人間たちが、人を捕えて食うため、そこで餌食となる旅行者を待ちぶせる場所となっていた。原題は、丘の上から旅行者を監視しているという意味だろう。

前半3分の1あたりまでは、家族内の反目もありながら、元刑事だった父親の下、平穏な家族が描かれるが、現地の怪獣のような顔をした男たちに家族が襲われる段になると、一気に残酷ホラーの様相を呈するようになる。


サバイバルゲームのあと、ラストには、ダグとその赤ちゃん、ボブと妹が生き残れて、まずはよかったということになるが、一気にカメラが引いて、丘の上からの双眼鏡目線になってクレジットとなる。

冒頭、核爆発のフィルムはいいとしても、タイトルまでに出てくる、実際の奇形児の顔写真や、それを模したモンスターが殺人鬼集団であるという設定は、物議をかもしただろう。もちろん本物の写真でなく合成写真とは思うが、同じことである。

所詮、映画だ、と言われればそれまでだし、フリークスをテーマにした映画もなかったわけではない。有名どころでは『エレファントマン』などもあり、奇形がそのまま、だから怖いんだよとホラー映画の悪役というのは、関係者からは非難されるだろう。


小人くらいならイタリア映画などにはよく出てくるが、奇形イコール殺人鬼のイメージにつながっているから抗議が来そうだ。

こういう感想をもちそうな人のためにも、そんな意図はないという意志表示が、奇形の街によく出てくるマネキンだったのではないか。

マネキンがなぜ、その死の街のあちこちや家の中にまでたくさんあるのか。この街が死の街にならなければ、そのマネキンたちが示すような、平和で明るい家庭や街があったはずだと、怪物たちが思っていると同時に、これは監督の意図的演出でもあろう。


単純にスプラッタではなくサバイバルにしたため、多くのホラーと差別化に成功したと思う。砂漠のど真ん中で、非力なこの家族が、知恵を絞って敵に向かう姿勢は、充分単純なスプラッタホラーを超えている。むしろ、それぞれたまにしか登場しない怪物たちの人間関係が、よく見ていないとわかりづらい。

戦いには、拳銃やライフルも出てくるが、怪物の家でのダグと怪物との白兵戦ぶりは、かなりリアルな描写で撮られている。妻を殺され、赤ちゃんを誘拐されて、家族のもう一匹の生き残った愛犬の案内でここまで来たのだ。


赤ちゃんを取り戻すという一点で、事件に巻き込まれるまでどこか気の弱い感じのダグだったが、赤ちゃんを取り戻すために、復讐の鬼と化し血まみれになって戰う姿は、殺されっぱなしのホラーとは違っている。赤ちゃん誘拐をきっかけにしたラストへの展開はうまい。

ラストに一片の救いを残すあたりもよかったが、その生き残った四人を、丘の上から見ている双眼鏡があるわけだ。


怪物登場の序盤では、インコを掴んで頭から食いちぎり、その血を飲むシーンがある。栄養ドリンクのキャップを口ではずして飲む感じだ。


父親役は『ヒート』に刑事の一人として出ていたテッド・レヴィン、母親役は『トワイライトゾーン』第三話のヘレン役、キャスリーン・クインラン、また登場シーンはわずかだが、ラスト近くで派手に殺されるのは、『アンタッチャブル』で、白いスーツが印象深い悪役ビリー・ドラゴであった。


どこかで見た顔に、ホラーで出くわすと、なかなか乙な味わいがある。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。