映画 『ピアニスト』

監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ、原作:エルフリーデ・イェリネク、撮影:クリスチャン・ベルジェ、編集:モニカ・ヴィッリ、ナディーヌ・ミューズ、音楽:フランシス・ヘインズ、主演:イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、2001年、132分、仏独オーストリア合作、フランス語、原題: La Pianiste


ピアニストというタイトルではあっても、内容はだいぶおぞましい映画である。R-15指定映画で、ミヒャエル・ハネケとくれば、何となく想像がつくかもしれない。ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』を想起させる。


ウィーン国立音楽院でピアノの教授をしているエリカ・コユット(イザベル・ユペール)は、シューベルトとシューマンの専門で、生徒たちにも技巧以上の厳しさを求め、教室のレッスン以外に、個人指導もしている。

私生活は、年老いた母親(アニー・ジラルド)とアパルトマンに二人暮らしであるが、ピアニストの道を進み今の立場にあるのは、この母親のおかげであるが、しかし女としての生活はほとんど知らないで育ってきただけに、エリカの内面、特に性的願望はアクのたまるように、奇形的に増幅し、心の中に宿っている。


そんなある日、ピアノの入試を受ける生徒のなかに、他の仕事をしていながらピアノを弾く20代後半の青年ワルター・クレメール(ブノワ・マジメル)がいた。審査のときは教授陣のなかでエリカだけが反対したが、結果的にはワルターは合格し、エリカの教室の生徒となる。

その少し前に、エリカと母親が招かれたある家庭での演奏会で、その家の親類にあたるワルターはエリカと知り合いになっており、ワルターはエリカに近づくためもあって、エリカの教室の生徒になったのであった。


生徒らの演奏会に向けリハーサルをする会場で、エリカはワルターの気持ちを理解し、ワルターもそれがわかり、エリカに愛を告白する。エリカを抱きすくめようとするワルターを拒み、エリカは、手紙を書くからそれを読んでから二人の関係を続けたい、と言う。


気持ちを抑えきれないワルターは、ついにエリカの住まいまで押しかけて、小うるさい母親を他のへやに閉じ込め、エリカのへやに二人だけになる。そこでワルターは初めてエリカからの手紙を読み、愕然とする。・・・・・・


フランスのベテラン女優二人に、新進気鋭のハンサムなプノワ・マジメルを配し、ピアノと音楽という知的な世界において、これだけどろどろしたものや汚いものを並行して描けるのはハネケくらいだろう。


母親はいまだにエリカに対して過保護のままで、それが原因で冒頭に親子で掴み合いの喧嘩をする。ちょっと帰りが遅いとその理由を問い詰め、派手な服がクローゼットにあると、無断で捨ててしまうような母親である。預金通帳にも目を通し、使い道について根掘り葉掘り聞いて通帳を奪い合う。そんな一連のシーンのあと、初めてタイトルが出る。


エリカには、表の顔と異なるもう一つの異様な顔がある。しかし、それもまたエリカの真実なのである。

帰宅が遅くなる理由をエリカは親には言えない。男客の出入りするポルノのレンタルビデオ店の個室に入り、ポルノを見ながら、ゴミ箱に捨ててあるティッシュを拾って匂いを嗅ぐ。

家でも、風呂場でこっそりレザーで、わざと股の奥を切り、食事の用意をしているときにパジャマの下から脚に血が垂れるようにし、母親から慰められる。


リハーサル会場のトイレで用を足していると、ワルターがそこに入ってきて、初めて抱擁するシーンがあるが、その場ではそれ以上になることを拒否する。女子トイレの中であるとか人が入ってくるとかいうことからではなく、エリカのいびつな欲求がかえってワルターを拒むのである。

そのかわり、ワルターのズボンからそこだけ露わになったイチモツをしごいてあげるが、それも途中でやめ、ワルターの置き去りにされた性欲をもてあそび、手紙を読むことを約束させる。


ピアノの指導では厳格であり音楽の知識や考えに造詣が深いものの、恋愛ごととなると、願ってもない年下の若いハンサムな男の求愛に素直に相対することができず、自分も好きであるのに自然な性交渉へと進んでいけない。


『隠された記憶』同様、建物を正面からとらえたロングショットのシーンで終わるのだが、エリカは自らにあることをしてその場を去ってしまう。コンサートの伴奏はどうしたのか、エリカはそのあとどうなったのか、知る由もない。


しっとりとして移動の少ないカメラで、心理劇的なメロドラマが進んでいく。二人の人間が相対するシーンが多いが、多めのカットでの切り返しも少なく、会話や無言の状態を、じっくりと見せてくれる。ピアノを弾くシーンも真上から手を撮ったり、主演俳優が弾くところでも、ある程度本当に本人に弾かせて後で音をかぶせたりするなど、生半可な映像で終わらせていない。


2時間を超える映画だが、長さを感じさせないのは、こうしたおぞましい内容でありながら、エンタメ性を保ち、話が一定のテンポで展開していくからだろう。


『ファニーゲーム』同様、えぐい映画ではあるが、一本の映画として完成度は高い。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。