映画 『浮雲』

監督:成瀬巳喜男、原作:林芙美子、脚本:水木洋子、撮影:玉井正夫、編集:大井英史、美術:中古智、照明:石井長四郎、録音:下永尚、音楽:斎藤一郎、チーフ助監督:岡本喜八、主演:高峰秀子、森雅之、1955年、124分。


高峰秀子の代表作であると同時に成瀬巳喜男監督にとっても代表作。

たまに観てもそのつど引き込まれ、新たな発見がある。 さすがに、自分がこんなところに感想を書くのも憚られるような、完成度の高い作品だ。

 

中年男と20代の女の恋物語だが、決して軽薄で単純な進みではない。

農林省の役人として、東南アジアの出張所にいた、妻のある中年の男、富岡兼吾(森雅之)が、そこにタイピストとして赴任した女、幸田ゆき子(高峰秀子)と出会い、恋に落ちる。

終戦後の昭和21年初冬、内地へ帰還したゆき子は、富岡の自宅を訪ね再会し、そこからこの男女の恋の道行きが始まる。


くっついては離れ、また出会うと言い合いになったり、途中、別の女(岡田茉莉子)に富岡が手を出したりしながら、二人は完全には別れられず、最終的には、富岡の新たな仕事先である屋久島までゆき子は付いていく。・・・・・・


当時の錚々たるメンバーによる制作で、ストーリー運び、テンポ、カメラワークなどに加え、役者の卓越した演技力はみごとというしかない。

カメラも特別な撮りかたはないものの、フレーム内処理、アングル、アップやバストショットの使い分け、短めのカットの切り返しなど、基本を重ねて仕上がった安定感があり、その上、品格を失わない。

幸せな瞬間と、またもや別れ話が出る瞬間とでの違いはあっても、やはりカメラは暖かく出演者をとらえている。

 

終戦後間もない代々木上原、千駄ヶ谷などの街並みが映され、伊香保温泉や鹿児島、屋久島などの風景が見えるのもありがたい。

しかし楽しむべきは、二人のときの会話だろう。セリフの掛け合いは絶妙で、セリフに出てくる語彙や言い回しは原作をそのまま活かしたものだろう。高峰秀子、森雅之の会話の間もよい。

 

鹿児島に着いてからゆき子は病いに冒され、屋久島に着くとすぐ亡くなってしまう。男女の長い長い道行きの最後に、男は女に死化粧をほどこし号泣する。


この、鹿児島以降は、ゆき子が床についているため、ゆき子はアップとなり、看病する富岡はゆき子に寄り添うので二人がフレームに入る。

ほとんど初めて落ち着いた状況で、ゆき子は富岡の思いやりを知る。高峰秀子に、出逢いのときとは別の美しさを見る。


ストーリーの途中で、富岡は妻を亡くす。ゆき子は再会後富岡と別れてから、生きていくためにパンパンにも身を貶(おとし)める。

しかしそれでも、このだらしない優柔不断な男に、女は付いてゆく。男は温泉街の女に手を出しながらも、金に困る分際になりさがっても、また女に会い、大切にすると言う。

 

離れられない男女の間…、恋だの愛だのといった高尚めいた理屈を越えて、一緒にいなければならない運命(さだめ)にある男女を、背伸びせず淡々と描き出している。

二人が外をゆっくり歩くシーンが多いのも、心得た演出であり、カメラは二人に寄り添うようだ。

 

ラストに、「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」の文字が出る。

テーマがテーマであり、時代が時代でありながら、映画としての色気を放つ作品であり、日本映画の代表作になった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。